里見八犬伝
南総里見八犬伝(なんそう さとみはっけんでん)は江戸時代最長の歴史小説で、文豪曲亭馬琴(きょくてい ばきん:滝沢馬琴)が生涯をかけて書き上げた代表作である。里見家再興を目指す「八犬士(はっけんし)」の数々のエピソードの中から、盛岡山車では犬塚信乃と犬飼現八(当該場面では「見八」)が下総国古賀城(こがじょう)の天守「芳流閣(ほうりゅうかく)」の瓦屋根を挟んで睨み合う名場面を採り上げている。 芳流閣決闘の構想は、特に地方においては物語りの伝播以前に錦絵を通して広まったものではないかと私は考えている。非常に画になる象徴的構図であるので、「この場面がどういう場面であるか」「八犬伝の中にどのように位置づけられるか」といったようなことへの関心はだいぶ後になって喚起されたのではなかろうか。ゆえに物語を知っているか知ってないかは、八犬伝の山車を見る楽しみにそれほど影響しないと私は思う。盛岡山車でも、たとえば見返しに伏姫(ふせひめ)が登場したりすることはほとんど無く、あくまでも絵面の美しさが山車の魅力のすべてであるような気がする。
他の組が作った八犬伝では鯱にも鬼瓦にもこれほどのこだわりは見られなかったが、むしろ足場までしっかり瓦を這わせるなど望楼の再現如何に見所が多かった。数々優秀な山車組みが手がけたが、どうしても屋根上の信乃の人形が小さくなってしまいがちであり、現八の豪華で異色な出で立ちが山車の見所となる。二人を同じ大きさで作ったのは盛岡の一番組や沼宮内のの組などわずかな例に限られ、の組は平成に入って2度自作したが、一度目は定例の型・二度目は両者を接近させ斬り合う構図にした。 (他地域) 『八犬士総揃え/見返し芳流閣』久慈秋祭 『八犬士総揃え』軽米秋祭 『船虫』九戸祭 『芳流閣』弘前ねぷた 黄金鱗(こがねうろこ)の 鯱鉾(しゃちほこ)上げて 山車は名代(なだい)の 八犬伝
大塚村で育った犬塚信乃戌孝(いぬづかしの もりたか)は、父から形見に授かった足利家伝の名刀「村雨丸」を許我公方(こが くぼう:室町中・後期の関東の支配者)に献上するため御所を訪れるが、謀略により太刀袋の中身を偽の刀に摩り替えられてしまっていた。名刀の偽装・果ては暗殺者かと濡れ衣を着せられ忽ち窮地に陥った信乃は、御所中の侍を相手に逃亡劇を繰り広げる。
将軍に会うために動きにくい晴れ着姿で参上したとはいえ、信乃の剣はめっぽう強く、並の護衛では相手にならない。許我公方配下一の剛の者 犬飼見八信道(いぬかいけんぱち のぶみち)は、このとき諫言を咎められて投獄されていたが、柔術と捕り物の腕を買われて信乃の捕縛に召集される。こうして戦局は、おのずと信乃・見八の一騎打ちとなった。
雑兵の追跡を逃れて御所の屋根の上、つるつると滑る瓦屋根・足を踏み外せば即奈落の底という緊迫した舞台の上で強者同士がせめぎ合い、見上げる観衆は固唾を飲む。剣の腕は互角伯仲、ついに組み合ったまま二人とも楼の下へ転げ落ち、利根川に浮かぶ小舟にその身を拾われ姿を消すのである。芳流閣は八犬士同士の巡り会いの逸話の中でも最も華やかで、よく知られた場面である。
盛岡山車『里見八犬伝 芳流閣の場』は、盛岡市長田町の三番組がたびたび手がけている自慢の演題である。盆の上に非常に精巧な瓦屋根を作るが、これは盛岡山車の大道具の中で最も規模の大きいもので、八犬伝の山車に使った後も『地震加藤』や『羅生門』の建具として仕立て直されることが多かった。一人を屋根の上に、もう一人を下に配して上を見上げる格好に作る。作品によって両者の左右が入れ替わることもあるが、構図に大差は無い。下に構える現八は鎖帷子(くさりかたびら)の上に派手な錦をまとって鉢巻を締め、手練れの十手を逆手に構える。一方の信乃は、楼閣の上から敵の様子を伺って刀を振り上げる。
信乃はその剣の腕前とはうらはらに女のような端正な顔立ち、と八犬伝に描かれている。それゆえ三番組は信乃の顔を肌色でなく白塗りにし、水浅葱に深紅という目の覚めるようなコントラストの晴れ着を纏わせている。ここに、三番組八犬伝ならではの完成された色味がある。三番組の八犬伝にはさらに、屋根そのものの派手さ、上部に躍る鯱と鬼瓦へのこだわり…と実に見所が多い。鬼瓦の表情はいかめしく且つユーモラスに凝らし、鯱は大きめに仕立てて電線の下を通るときに内側に折り込む。電線を抜けて鯱が再び現れると、見物客からワッと歓声が上がる。
盛岡のみ組(新盛組)ではこれとは別に、八犬士の犬村大角(いぬむら だいかく)が庚申(こうしん)山の洞穴に住む化け猫を退治し、父の仇を討つ場面を『八犬伝』として作る。この化け猫は大角の父を殺すのみならず父に化けて入れ替わり、大角を苦しめ非道を為し続けてきた。大角は犬飼現八の助けを受けたこの化け猫退治を経て、一番最後に仲間に加わる里見犬士である。首の数珠や手にした金剛杖は大角を僧侶・行者の風貌に描き、下方に組み伏せられた盛岡山車では珍しい大化け猫の作り物が観客を魅了する。化け猫を作る演題にはほかに『有馬の猫騒動(小野川喜三郎)』があるが、犬村大角は専らみ組のみが作っているもので、盛岡市外での登場例は今のところ無い。
芳流閣の決闘の場面は「山車祭りのシーラカンス」と呼ばれる静岡県大須賀町の曳山の人形にもなっているほど、大変由緒の深いものである。古い形を辿れば辿るほど、物語性を排除した構図本位の八犬伝の型として散見される。岩手では、二戸広域に根を張る平三山車にたびたび芳流閣の場面取りがなされ、楼が上半分折れ曲がり、隠れるように添えられた犬塚もこれと前後して後方に折り返るなど、非常に凝った仕掛けを伴う秀作であった。
「南総里見八犬伝」は全98巻に及ぶ大作であるので、名場面はそれこそ「無数に」存在する。近年は物語性を重視した八犬伝の山車が青森ねぶた、八戸山車、花巻山車、新庄山車などに広く見られるようになり、伝統的な犬塚・犬飼の対峙の型を駆逐しつつあるようだ。伏姫の体を破って八つの玉が飛び散る場面を劇的に描いた作品(山形:新庄まつり、青森:八戸三社大祭ほか)、円塚山での犬山道節・犬川荘助出会いの場面(青森ねぶた祭り)、犬田小文吾が暴れ牛を取り押さえる姿(秋田:角館祭り)、伏姫が玉梓を射る場面(岩手:花巻まつり)、大角化け猫退治の裏に猫が化けた赤岩一角の妻「船虫」(岩手:九戸まつり)などがあり、八戸型の山車では八犬士総揃えの趣向がよく見られる。とりわけ悪役の玉梓(たまずさ)を創意を凝らして奇怪に描き、従来に無い構図を勘案しているものが多い。特に近年の映像資料などでは玉梓を蜘蛛の妖怪として描いているので、女郎蜘蛛のモチーフがよく添えられている。大角の化け猫退治も、八戸山車や黒石ねぶたでたびたび採り上げられた。
文責・写真:山屋 賢一
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絵紙
芳流閣
盛岡観光協会・葛巻下町組(本項2枚目)
沼宮内の組(本項3枚目)
二戸福岡川又(見返し)
九戸南田(本項5枚目)・二戸福岡田町盛岡三番組(本項1枚目)
盛岡一番組
盛岡三番組@
盛岡三番組A
一戸橋中組・日詰下組
沼宮内の組
二戸福岡は組
九戸村盛岡三番組(富沢)
盛岡観光協会・西根会(富沢)
一戸橋中組(富沢)
盛岡一番組
盛岡三番組@(富沢)
盛岡三番組A(富沢)
庚申山
普代上組(本項4枚目)
青森八戸盛岡み組
盛岡新盛組
青森黒石(扇)
青森黒石(組)
青森八戸
高き櫓(やぐら)に 龍虎の競い 落ちて小舟(おぶね)の 水煙る
親の形見と 犬塚が かざす村雨丸(やいば)に 日の光り
高き甍(いらか)に 霞(かすみ)か虹か 竜虎挑みて 雲を呼ぶ
玉の縁(えにし)に 結ばる二人 芳流閣(ほうりゅうかく)の めぐり合い
八つの魂 義を一筋に 立てる武名の 八勇士