岩手県普代村 ふだいまつり

 

 

鵜鳥神楽のこと

鵜鳥神楽の『山ノ神』を凝らした山車(上組)

 岩手県下閉伊郡普代村は私にとって、思い入れが深い町のひとつです。ある年の正月、吹雪で一寸先も見えないような白銀の世界を縫って初めて訪れたこの村で、私は世界一まばゆい神楽を見ました。公民館に張られた赤や橙、黄色に桃色の派手な大幕を前に、紋付袴もりりしい若い舞手が舞台をぐるりと囲んで行う「打ち鳴らし」、公民館にじわりじわりと染み渡り一帯を占拠する鉦の音、存在感あふれる数々の演目、黒森神楽との対比、激しく幕を揺さぶりながらなかなか現れない山の神、怒号とともに投げつける清めのお散米、堂々たる威風の鵜鳥神社、…このとき味わった神楽への心の躍動は、一生忘れられないものとなりました。
 以来、知人の協力に頼りながら正月の普代行きをひとつの風物詩として楽しんでいます。時には図書館に立ち寄り、店先を数々訪ねて海の幸を求め、折々で触れた物・人すべてが輝かしく、普代村は自分にとってかけがえのない場所になりました。

普代村の秋祭り

 ふだいまつりには、上組、中組と下組の3つの山車組があります(最初に見に行った年は中組と下組、2回目に見たときは上組と下組から山車が出ていました)。初見の平成18年時点では、山車は2つとも八戸三社大祭で使われたものを運び込んで、看板等を付け替えたものでした(中組が塩町山車、下組が十六日町山車から借りていた)。あとあと八戸から取り寄せた写真とくらべてみると、人形の顔が変わっていたり飾りが一部消えていたり、普代に来た時点での微妙な変化があるようでした。2つの山車小屋は割りと至近距離にあり、お祭り1日目(9月第1金曜日)は「開会式」にあわせて午後4時頃小屋を出発します。

梶棒を備えた中組山車【西遊記】(開く前)
出発時の様子

 中組では出発前、引き綱に梶棒を結びつける作業が行われていました。八戸山車には基本的に梶棒はなく、借り上げ先でもあえて梶棒をつけるような例をあまり見たことがありません(青森県の三沢市で同様の習慣がありました)。綱に結びつけた「宙に浮いた」ような梶棒というのも独特です。下組は山車の出発の際、音頭上げをやりました。太鼓は音頭上げが終わってからはじめて打ち鳴らされます。梶棒は中組、音頭は下組、どちらもそれぞれの組だけの特色で、両者が共有しているわけではありません。

運行時の作法・お囃子・掛け声

 山車の運行時は、先頭に横長の旗と高張り提灯、笛吹きは浴衣姿、大太鼓は諸肌脱ぎのさらし姿です。太鼓は久慈流の4種類で、県内陸部でよく使われる「歩み太鼓」に近いものが2種類(早いものと遅いもの)、山車の停止時の太鼓(いわゆる「まっちゃ」)と似ているものが2種類です。山車は常に動いており、どんなタイミングかわからないですが、大太鼓の合図でお囃子がくるくると入れ替わっていきます。初日の運行風景を見る分には、特に何をするときにこの太鼓、というわけではないようでした。
 進行囃子のリズムがゆっくりなほうには「よーいす、よいさあ」という久慈に似た掛け声がかかり(大人がかける)、リズムの早いほうには「それそれそれそれ」「お祭りどんこどこ やれやれそれそれ」と子供たちの元気な掛け声がかかります。山車の囃し言葉に「お祭り」という言葉が入るのは珍しいと思います。中組では5人の小太鼓がかわるがわるリードを取り、全体が唱和していきます。下組では一番端にいる子がリードを取ります。ふだいの山車囃子には「それそれ」という掛け声が良く使われ、目立っていました。
 停止拍子(に類するけど進行中に叩かれている)のひとつはすごく叩く回数が多くて難しそうに見えます。ペースの速い進行囃子のほうも、一人ひとりが乱打しながら唱和していくのですから、普代の小太鼓はかなり技術レベルの高い小太鼓です。大太鼓は中組が2人打ち、下組は1人打ちで、久慈と同じように、進行方向に向けて撥を構える仕草が入っていました。

普代駅前で開いた山車【八岐大蛇】(下組)
音頭と迫り上げ

 音頭上げは最低限、八幡神社ののぼりの前に差し掛かったとき、山車を全開にして上げられます。普代の音頭は野田・久慈・八戸などと共通する祝い木遣りで、「やれ いよいは えーい」で始まりますが、盛岡とほぼ同じ節回しです。変わっているのは、音頭を上げる人の名前を逐次紹介することで、中組は音頭を上げる人を、周囲が「やれやれやれやれ」と囃したてます。民謡や神楽が盛んな地域だけあって、大変上手な音頭上げでした。大太鼓の1人がドンドンと打って合いの手を入れます。一度山車が止まると次々にあげ手が出て、私が見たときは、一箇所で5曲ほど唄われました。
 八幡宮前以外では、前述した下組の出発前音頭、中組は普代川に架かる橋のたもとで2つほどあげたようで、あとは夜間運行のクライマックス、2台の山車が対面するときに上げるようです。駅前でやる開会行事では上がりませんでした。
 普代の通りは狭いところが多いので、なかなか山車は開きません。完全に止まった状態でないと開かないのは、借り上げ先ならではのことかもしれません。初日については、普代駅到着直後、七頭舞演舞中の休憩時、八幡宮前、山車の対面時に全開しました。盛り上がる夜更けにつれて、開く率が上がるようです。また、管理がズサンなのかサービス精神旺盛なのか、小雨交じりの中どちらの山車も全く雨除けビニールをかけず、じっくり山車を見せてくれました。

普代の町並みと自作山車【里見八犬伝】(上組)
自作達成

 平成20年に普代まつりでも山車の自作化が達成されました。周辺地域と比べてみても、普代の山車人形は出来映えが良く、細部まで作り込まれた面白い作品が多いように感じました。特に上組の山車は閉じた状態でも充分に見栄えのする構成であり、開く際も横には広がらず、上にのみ伸びるというわかりやすい構造でした。見返しには一方は鵜鳥神楽の一場面を、もう一方は飾りの中央に鵜鳥神楽の夫婦の権現様を据え、神社名を書いた雪洞や幟も山車に立って、普代ならではの趣となっています。自作化して山車が開く回数も多くなり、家々の軒先で音頭を上げながら全開状態を披露するような場面も見やすくなりました。

ふだいまつりの芸能

 お祭り全体を通しての話です。私は鵜鳥神楽の縁で普代をはじめて訪れたこともあり、初日と最終日に山車に連動するという「神楽お通り」は、鵜鳥神楽がお通るものだとばかり思っていました。が、行ってみてはじめて、「神楽お通り」=「中野流鵜鳥七頭舞お通り」であることがわかり、神楽衆の皆さんは専ら中学生をサポートしてお囃子をやる「だけ」でした、残念。
 鵜鳥神楽の門付けは無いわけではありませんが、山車が動かない中日の午前中にやるとのことです。回りきれなければステージ発表が終わった夕方にもやるとか。
 七頭舞はふだいまつりの呼び物として名高く、私が見に行ったときはパレード全体で2回演舞しました。また、くだんの山車を引き合わせる場面では引き子の高校生たちが早太鼓に合わせて扇子を持って踊っており、良く見ると七頭舞のステップを踏んでいました。これも元気よく見ごたえがして、何より七頭舞が自然発生する環境の凄さに圧倒されました(ちなみに都南の多賀神社の宵宮では、三本柳さんさのような踊りが自然発生します)。

 お祭りの日は駅前にズラリと出店が並び、町に下ると商店でも出店を出しているところがいくつかありました。普代は小さいながらも、活気のある町だなあと思います。普代駅の中にも駄菓子屋や食堂があり、なかなかレトロな雰囲気で好きです。
(平成18・22・23年見物 文責・写真:山屋 賢一)


下組自作山車【川中島】

※八戸流の風流山車祭り一覧

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