盛岡山車の演題【風流 車引き】

松王丸と梅王丸

 

 



「平成型」一戸町西法寺組平成18年

 菅原伝授手習鑑の『車引き』は、人形を2つ使う歌舞伎山車としては最も年季の入った演し物のひとつである。右大臣菅原道真の大宰府配流を題材とした歌舞伎の名曲であり、特にも吉田神社社頭車引きの場面は大変彩のよい、華やかな場面である。

 道真に仕える梅王丸と桜丸が、主君を讒訴し失脚させた藤原時平の牛車を吉田神社に襲い、時平の家来かつ実弟の松王丸に出会う、まさに佳境の場面。最近の盛岡山車では、とりわけ松王丸と梅王丸を並べて車引きを飾ることが多くなった。

 松王は白い着物、梅王は赤い着物、松王はすっきりとした一本筋、梅王は二本筋隈取、松王は刀の柄を高く片手を胸に、梅王は握りこぶしを高く構えて刀を下に、松王は体勢高く、梅王は低く、松王は奥に、梅王は手前に…と巧みに対照させた美しい構図である。色味が多く、内容はよくわからなくてもとりあえず派手で華やかなので、歌舞伎山車の中でも一二を争う人気を誇っている。より多くの観客に喜ばれる演題のひとつだ。

「定型」盛岡市新田町か組平成14年

 盛岡山車の松王・梅王タイプの車引きは、まず盛岡の長田町第八分団三番組が手がけた。戦後に入って2度製作したが、このうち第2作の昭和59年の構想がよく学ばれ、盛岡市内では新田町のか組、市外では石鳥谷町の上若連がすっかり真似た。いずれも優美壮麗というほか無く、大変見事な歌舞伎山車である。最近では、松王丸が白い着物の袂に手を入れて見得を切る新構想がほうぼうで出始め、こちらでは松王は低く、梅王は高い姿勢に設定されている。県北の歌舞伎組として名高い一戸の西法寺組が、最初に構想した。

 それ以前に『車引き』の山車といえば、「梅王・時平」の組み合わせが主流であった。舞台に牛車を上げて時平と梅王のにらみ合いを描く構想で、車の上に車を乗せる山車である。山車の時平は長らく隈取を省略していたが、盛岡の本組は珍しく歌舞伎同様の「公家荒れ」という隈取を再現し、観衆を驚かせた。この作品は梅王ではなく松王を時平に並べた構図であった。

 

「梅王・時平」秋田県角館町(購入写真)

(秋田県角館祭りの「車引き」)
 車引きを山車人形に取り上げる例は全国に見られる。秋田の角館では、人形の数を2つに限った歌舞伎の山車が作られており、車引きが出る場合は盛岡山車とほぼ同じ形をとるとなる。筆者は盛岡周辺ではめっきり作られなくなった時平梅王の車引きを、角館に赴いてやっと直に見ることができた。松王梅王が揃った構図では、『賀の祝い』といって米俵を掲げた姿の山車が出た。


文責・写真:山屋 賢一

(音頭 名句撰)
松の緑の 治まる御世に 色香競える 梅桜 い組(盛岡市)
いろは紅葉の 菅原伝授 ちりぬる我が子 松王丸 め組(盛岡市)
梅に桜の 花散る里に 緑変わらぬ 松の風 本組(盛岡市)
梅も桜も 飛び散る中に 松の緑を 車引き 西法寺組(一戸町)ほか
義理と情けを 世の手習いに 曳くや男の 山車 三番組(盛岡市)
梅王桜の 名乗りをうけて 阻む松王 車前 本組(盛岡市)
仁王もどきに 力みし姿 いずれも見事な 荒事師 さ組(盛岡市)
誉れを急ぐ 元禄見得は さだめを知らぬ 車前 上若連(石鳥谷町)
松に嵐の たとえも知らず あだに散りゆく 梅桜 
三番組(盛岡市)ほか


「定型崩し」石鳥谷上若連平成19年
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