八坂神社稲荷神社祭典山車2006

 




※特に但し書きのない音頭は、祭典で実際に歌われたものです。


本組
 
【蒲生 氏郷】
大道具の柵の色、鎧の色、見返しの衣装の色使いなど華やかで調和度が高く、且つ変に派手でない。正面静視が最もよく似合う演題であった。

群雄割拠の 戦国の世に 上げる蒲生の 馬印(山屋創作)
文武両道 乱世を生きる 大器氏郷 悠々と



 会津若松開城の祖であり、当地九戸の乱に豊臣方の先鋒として攻め入った武将でもある。位置づけとしてはもちろん地元ネタだろうが、北某、姉帯某とは違い、今回は全国的にも有名な武将である。鎧武者を持ち上げる構図は、もともと『風流 本多忠朝』として本組だけが使ってきたものだが、この作品では氏郷が九戸軍に如何に苦しめられたか、如何に九戸政實が奮戦したかを暗示した構図のようにも思われる。
 見返しは、討伐軍の降伏勧告を九戸城に持参する場面だろうか。難攻不落の九戸城は、討伐側の偽りの和議に騙されてついに落城したと伝えられている。


見返し 東ノ十郎左衛門






橋中組
 
【碇 知盛】
非常に斬新でまとまった構想の「新」碇知盛。碇も船も大きさ十分、人形の目線や角度もじつに的確。長刀をやや大きく作ったことで、全体がうまく締まった。道具類にしつこいぐらいに菊の御紋が入り「平家の凋落」を暗示。

遠く波間に 戦のさまを 見据え碇の 綱を引く(山屋創作)
平家一門 栄華の夢も 海の藻屑と なりにけり

見返し 早川鮎之助

 壇ノ浦の戦に敗れ、平家の大将新中納言知盛はその屍を敵方に渡すことを厭い、大碇の艫綱を全身に巻いて源氏方を睨み据え、壮絶に入水した。碇を両手にささげた姿を作るのが普通だが、今回は碇を脇に抱え込んだ新発想の構図とした。このほうが、碇をより大きく作れるのだという。ながらく当組を支えてこられた製作担当者の逝去に伴い、表裏とも故人の初製作演題を採用。





源平両軍死力を尽くし 雌雄決する壇ノ浦




西法寺組
 
【車引き】
ただでさえ難しいものを新発想を入れて更に難しく。松王の片手がきちんと袖を掴んでいるようで上出来。衣装も綺麗で細やか。なにより絵紙が見事。

遠の帝に 流るる君の 仇を討たんと 待つ車(山屋創作)
梅も桜も 飛び散る中に 松の緑を 車引き

 3兄弟の長兄梅王丸、2番目の松王丸が主の諍いをきっかけに吉田神社の鳥居の前で睨みあう場面。盛岡では2体歌舞伎を得意とする消防8分団、9分団などが出す。暫や矢の根といった定番の1体ものより製作例は少なく、決して歌舞伎山車の本場とはいえない一戸町でこの演しものが出るというのは大変珍しい。
 


見返し 『安寿と厨子王』より安寿姫







野田組
 
【遠山金四郎】
裸人形異色の「片肌脱ぎ」、綺麗にまとまり、かつ製作法は全く見えない。平成9年と似た感じだが、より動きが出てかっこよかった。

山車は遠山 下町奉行 白州の裁きに 花が咲く
江戸に咲く花 数々あれど 桜ふぶきの 勇み肌


 下町奉行遠山左衛門尉は若い頃遊興にふける不良青年であったが、長じて下々の心を思いやれる名奉行となった。俗に「刺青判官」と呼ぶ。見返しには、奥州藤原三代のうち義経を迎え入れたことで知られる3代目秀衡、僧形に中尊寺金色堂と浄土庭園の蓮の花を添えた。

金色堂や蓮の花など、野田組らしい凝り方。藤原三代の山車、今度は表で見てみたい。







上町組
 
【児雷也】

あやし児雷也 妖術使い 奪い抱えた 軍資金(盛岡二番組引用)
秘文を享けて 呪文を唱え 蝦蟇の姿で 悪を討つ

一戸では珍しい趣向、大過なく仕上げているのが実はすごいことなのでしょう。

 庶民の味方義賊の児雷也が蝦蟇の妖術で悪者を懲らしめ、千両箱を抱えて小判をばら撒いているところ。千両箱を抱えた片手六法は通常蝦蟇を脇に置く、蝦蟇に乗る場合は児雷也の手が印を切る格好になる。今回の作品は両者の折衷。
 蝦蟇が大変立派、写真に撮って更に立派(輪郭が非常に良く見える)。グロテスクにならず、且つ迫力があって実物を連想できる仕上がり。人形は膝の部分をしっかりと表現してあって、棒立ちで無いような動きがあった。動いている姿を真横から見るとかっこいい。


 








撮影:平成18年一戸まつり中日 山車夜間合同運行にて

※正式な演題名はこちら

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