川口豊城稲荷神社例大祭 川口秋祭り報告

 



 9月23日周辺に3日間設定し運行を行う井組、下町山道組、み組の山車。昭和61年に山車行事が復活し、同町沼宮内から技術指導を受けて平成4年ごろから自前で人形を仕立てるようになった。高さ5メートル超の背の高い山車で、沼宮内新町組流の三段松飾り、片側桜、立ち岩は岩肌を模す奔放で古風な山車である。番付はみ組、下町山道組が色刷りの絵紙、井組は当初白黒刷りの絵紙だったが、近年は手拭になった。初日と最終日は大名行列(神社の大きな祭典に藩主自ら隊列を引き連れて応援した事の名残)、狐踊りなどを伴うお通りについて日中合同運行、中日は流し踊りを伴っての夜間運行を行う。昼間の合同運行では、音頭上げのために山車を止める回数がほかの地域に比べて格段に多い。きちんと照明を燈すが、夜間運行日以外はなぜか夜が早い。



井組【加藤清正 朝鮮国虎狩の場/原爆で散った未完の大女優 園井恵子】
★管理人撰 川口一番★
加藤清正異国の土地で 今に伝わる虎退治

永禄元年 明国先陣 猛虎に及ぶ 清正公
武名勇まし 清正公が 部下のあだ討ち 虎退治

※演題解説※


 加藤清正の虎狩りは、一説には朝鮮出兵時の山賊狩りの比喩であるともいい、また彼の幼名が「お虎」であることから、加藤清正といえば虎退治というイメージは広く日本人に浸透している。清正が短期間ではあるが城主をつとめた熊本では、村芝居などにあらすじとは関係なく長烏帽子に立派な顎鬚、片鎌槍を持った人物をちらりと登場させる。そうすると必ず大入りになる。清正はそれだけ治世下の人々に愛された、人徳ある武将であった。音頭は川口秋祭りにて筆者が筆記したもの。

夜間パレードにて


(コメント)取っ組み合う雰囲気を清正に出したのは斬新、一番面白味が多かった山車。




下町山道組【真田幸村/佐渡の鬼太鼓】
珍しい演題がたまたま盛岡と重なって登場

燃ゆる思いを 鎧に託し 紅蓮の炎 赤備え
戦国無双の 誉れも高し 智将幸村 晴れ姿

※演題解説※


 源平の義経、南北朝の楠公に勝るとも劣らぬ智将「真田幸村」。その最期はやはり前述の二将と同じ非業であるが、非業であるが故に風流山車に上がるべき演題である。負け戦、断末魔、…祝い事の山車とは思えない彼らの非業の姿こそ現代日本の繁栄を築いてきた礎であり、盛岡山車は其れを神に献じることで森羅万象、万物に謝意を示すのである。音頭は下町山道組番付より引用させていただきました。

戦国具足は盛岡山車では珍しい


(コメント)ここでしか見れないスケールの馬!!鎧も凝っていてまとまり一番。





み組【朝比奈の城門やぶり/郷土芸能 野原さんさ踊り】
演題に絡む音頭が極端に少ない組です

鎌倉武士の 誉れも高く 怪力朝比奈 幾世迄
投げ打つ敷石 響きも高く 馨る誉れの 朝桜

※演題解説※


 朝比奈三郎は本名を和田義秀といって、源氏の武将「和田義盛」の息子である。鎌倉時代、源氏一族が三代で絶えた後は北条得宗家が執権政治を行ったが、その際に頼朝を支えてきた比企、梶原、三浦など御家人の名家を次々に排斥していった。和田家も排斥の憂き目を見たが、討伐の戦の折に義秀が北条の砦の門を無双の怪力にて打ち壊した逸話は後世に伝わり、もって和田一族の意地を遺した。盛岡山車に古来より伝わる音頭の文句を添えました。

(コメント)なかなかわかりづらいが、いい角度はいい山車。城門丸ごと白木作りは珍しい。







※正式な演題名はこちら




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