盛岡山車の演題【風流 朝比奈三郎】
 

朝比奈三郎義秀

 



 立ち岩を覆うように其の演題に見合う背景を作る時最も観客の目を奪うのは、木造の立派な城門である。城門を背景とする演題には『大高源吾』など赤穂浪士の討ち入りを描いたものなどがあるが、最もよく知られているのは、城門破りの朝比奈三郎(あさひなさぶろう)の山車である。

 本名の和田義秀を添えて『朝比奈三郎義秀(あさひなさぶろうよしひで)』と題がつくこともある。
 朝比奈三郎は、源頼朝に仕えた侍所別当和田義盛(わだよしもり)の三男で、母は巴御前であったとの説もある。鎌倉武士あまたある中でもとりわけ武勇に優れ、怪力無双といわれた。頼朝の死後、勢力拡大を図る北条一族は梶原氏、比企氏など有力御家人を次々に滅ぼし、和田氏にもその魔手を向けた。こうして世に云う「和田合戦」が起こる。この戦いのとき、朝比奈三郎は自慢の怪力にものを言わせてたった一人で北条の砦の門を破り、北条義時を震え上がらせた。盛岡山車では、庭の敷石を引き剥がして門にぶつけ、門を破る様子が描かれる。

沼宮内新町組平成12年
 山車の朝比奈は、普通髭の生えていない若武者の風貌であり、兜は無く(一戸町の本組では兜を後ろに背負わせた)、不精に伸びた髪を金具の付いた鉢巻で束ねている(日詰の橋本組や沼宮内の新町組は、鉢巻を省いて乱れ髪にした)。絵紙では背中のホロが風を受けて横にたなびいているが、実際に作品化した際にこの部分を再現した例は、おそらく無いように思う。朝比奈の掌は左右どちらも門のほうを向いているのが常で、橋本組の作品のみ、上がったほうの手を外側に向けていた。石鳥谷の下組は、屋根瓦を上がった手に持たせて変化をつけた。新町組は下がったほうの手を内側に向けて、投げつけた余韻を表現している。敷石のあたった城門は、たいてい傾けるだけで破損させない。橋本組が門の壁にささくれのような破れを施し、盛岡観光協会では大穴をあけて敷石がめり込んでいるように描いた。新町組では、門を支える柱を折った。崩れる様子を、屋根瓦を散らして表現する作品もよくある。
 上記のような定型を破った作品について。年代不詳だが、石鳥谷で金棒を振り上げて門を破ろうとする朝比奈の山車が出ている。一戸町では、野田組の古い絵紙に門の前で敷石を持ち上げる朝比奈を描いたものがあり、橋中組がこの構図を実際に山車にしている。不精ひげをはやした荒武者仕立ての朝比奈が諸手に大きな敷石を差し上げているという異色の作品であった。

 朝比奈の場合は当然、破られる門をいかに豪華に作るかで作品の成否が分かたれるのであり、手塩に掛けた虎の子の門を敢えて破壊して見せるところに面白さがある。それこそ風流山車の備えるべき一瞬の華々しさの具現といえるだろう。豪華な門の造りのみが朝比奈の魅力であるならば、むしろ一戸の例のように門破りの直前を描いて門そのものは残すという発想の方が自然である。朝比奈の真の魅力とは、門そのものよりか、その門を打ち崩してしまう豪奢振りにあるのであり、城門を伴う山車のうち、最も風流というにふさわしいものであろう。

 盛岡山車ではこのほか、『草摺引』という2体歌舞伎の演題に朝比奈三郎が登場する。「蟹隈」という道化の隈取で晴れ着を纏い、曽我五郎と鎧を引き合う姿である。歌舞伎姿の朝比奈が煙管をふかす様を1体で飾った山車も、戦前に出ていたようである。



(他の地域の「朝比奈三郎」の山車)
 青森ねぶたでは門の扉を独力で持ち上げる朝比奈が作られ、横につぶしの武者が付いた。敷石を持ち上げた朝比奈を主役に何体か武者人形を並べた絵巻型の山車が、同じく青森の野辺地で出ている。八戸、新庄、県内では平三山車や花巻山車を見ても、門破りの朝比奈はあまり作られていないようである。
 ねぶたでは、地獄の閻魔大王に朝比奈が和田合戦の有様を語る『地獄の屈服』という作品が近年よく出てくるようになった。

★青森県青森市

★「地獄破り」青森県青森市





文責・写真:山屋 賢一




(音頭)

武勇優れし 朝比奈が 残る誉れは 幾代迄(いくよまで)
腕は金剛 情けは胸に 苔むす敷石 逆さ投げ
投げうつ敷石 響きも高く 薫る誉れの 朝ざくら
城門破りし 朝比奈が 敵をも想う 男道
命を預け 水練の 鮫をしとめし 由比ヶ浜(ゆいがはま)
鎌倉武士の 誉れも高く 怪力朝比奈 幾代まで
橋本組なら 源氏の武将 朝比奈三郎 語り草
怪力無双の 朝比奈三郎 敵に情けも 武士の道




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★参考外部リンク「吾妻鏡」

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