四ツ車大八

大八の纏う浴衣は丹前のような厚手のもので、車紋の刺繍や染め抜きが施されている。浮世絵等で見られる鉢巻はやがて消え、近年は打ち倒される火消し人形も省かれることが多くなり、喧嘩のニュアンスは抑えられつつある。昔ながらの大八車 「盛岡の山車の最も誇るべき部分」を諸手に差し上げるという、一種象徴化された要素をはらんで現在に至っている、ともいえるだろう。少なくとも盛岡市内では、四ツ車の山車を作るのは消防の山車組ではなく、町内会や愛好会が中心となっている。近年では愛好会山車組の「の組」がレパートリーに加えており、かつては企業や組合、市場の山車などに多く使われた演題である。
持ち上げる姿についても碇知盛や桂川力蔵に比べて工夫の見える作品が多く、互いの手を違う格好にしたり角度を工夫するなどして単調でないように作っている。持ち上げ体勢における技術蓄積・発達の役割を果たしている演題ともいえるだろう。

(他地域)
四ツ車大八は旧南部藩領の山車に広く見られる演題であり、岩手県内では二戸の平三山車で大変味のある相撲取り裸人形を使った作品が出る。潰し人形に纏をかざした火消しのほか、侍や無頼漢がつくこともある。青森県では三戸・八戸などで山車に作られているが、大八を脇役にして火消しを主役にした作品が多い。一方で津軽藩領のねぶた・ねぷたの類にはほとんど登場しないようであるから、四ツ車は南部藩領内に限って爆発的に流行している演題なのかもしれない。秋田県では裸人形のメッカといわれる土崎祭りに、廻し姿で竹梯子を掲げた四ツ車の山車が登場していた。山形の新庄祭りにも、「め組の喧嘩」でたくさんの火消し人形と競演する四ツ車大八が登場した。新庄に限っては、決して定番ではなく珍しい趣向であったように思う。
東北圏を出ると、北陸や九州の人形山車において四ツ車の姿を見ることはほとんど無いし、彫刻飾りや化粧幕に題材として使われることも無い。新潟だったか静岡だったか、大凧で喧嘩をするお祭りで、梯子を振り回す四ツ車の姿を凧絵にしている丁があったような。
文責・写真:山屋 賢一