盛岡山車の演題【風流 四ツ車大八】
 

四ツ車大八

 



紫波町日詰橋本組昭和62年

 四ツ車大八(よつぐるま だいはち)は幕下で終わった力士だが、「め組の喧嘩」で後世に名を残した。 この喧嘩の物語について歌舞伎(神明恵和合取組)は火消しを善と描くという。山車では一転して力士側を善とし、火消し側の非に言及している。
 芝居小屋や勧進相撲で度々傍若無人な態度を繰り返す町火消しめ組の若衆、諭そうとした力士の九龍山・四ツ車が逆恨みされ抗争は激化、鳶と力士をまるごと巻き込んだ大喧嘩に発展する。

 相撲部屋に押し寄せ暴れ回る鳶連中、義侠に燃える四ツ車は竹梯子を振り回して応戦し、両者譲らぬ大乱闘となった。最後は火消し達が打ち鳴らした半鐘を聞いて奉行所が仲裁に入り、力士側の言い分が認められたという。
 四ツ車の四股名(しこな)は、彼が荷車二つ分の怪力を備えたことに由来するといわれ、山車人形では次第に梯子に代わって、荷車の車輪(大八車)を持ち上げる構図が出てくるようになった。

盛岡市加賀野の組平成12年(2作目)

 山車人形の大八が纏う着物は浴衣というよりは丹前のような厚手のもので、車紋の刺繍や染め抜きが施されている。浮世絵等で見られる鉢巻はやがて消え、洗い髪やざんばら髪になった。戦前は潰し人形がつくのが定例であり、鳶口を手にした火消しが打ち倒される姿の他、いかにも悪人面の侍が蹴倒される姿を伴ったこともあった。このような潰し人形は近年は省かれることが多くなり、山車全体の構図において喧嘩のニュアンスは抑えられつつある。昔ながらの大八車「盛岡の山車の最も誇るべき部分」を諸手に差し上げるという、一種象徴化された要素をはらんで現在に至っているといえなくもない。

 少なくとも盛岡市内では、四ツ車の山車を作るのは消防の山車組ではなく、町内会や愛好会が中心となっている。企業や組合、市場の山車などに多く使われた演題であり、平成以降は愛好会山車組の「の組」がレパートリーに加えている。
 平成10年以降もっとも盛んに取り組んでいる盛岡のの組は、従来洗い髪やざんばら髪であった四ツ車に大銀杏を編んだりして、相撲取りの髪形に近づける工夫を行っている。2作目では手足には隈取を入れて、力の篭もる様子を再現した(この工夫は意外にも、真似る所が少ない)。
 衣装の色彩は紺や水色など青系が普通で、前述のの組は紫、一戸の西法寺組は黒、石鳥谷の中組は臙脂色…と工夫したところもある。持ち上げる車輪は白木が多い印象があるが、一戸や日詰の上組で牛車のような彩色された車輪を使った例がある。車輪は普通背面に及ばないよう工夫されるが、一戸ではわざと山車の上部を丸ごと覆ってしまうような大きなものを作って、大八の怪力を強調する(橋中組・上町組)。車軸を支える部分を大きく出っ張らせた車輪もあったようだ。

「2体」岩手町沼宮内愛宕組平成22年

 車輪のみならず荷車を丸ごと掲げるのは高さ制限上不可能といわれて久しかったが、一戸の野田組が昭和の中頃に試みており、近年復活製作して話題を呼んだ。以降、石鳥谷や川口でも挑戦する山車組が出ている。火消しを伴う喧嘩場の仕立ては近年、沼宮内で試みられた。
 日詰の一番組は『め組の喧嘩』と題して四ツ車と対峙する火消しの頭『新門辰五郎』を見返しに飾ったが、これは表裏一体として構想されたものではなく、後に四ツ車の見返し対応として石鳥谷の下組が飾った。辰五郎を表に据えた山車は戦前の盛岡、戦後は一戸で数回出ているが、多くは纏を取る姿で喧嘩の場面は少ない。

 持ち上げる姿についても碇知盛や桂川力蔵に比べて工夫の見える作品が多く、左右の手を違う格好にしたり角度を工夫するなどして単調でないように作っている。持ち上げ体勢における技術蓄積・発達の役割を果たしている演題ともいえるだろう。


(サイト内公開写真)


日詰(潰し付き) ・ 岩手川口 ・ 一戸(荷車上げ) ・ 石鳥谷
・ の組3作目・ の組4作目・ 石鳥谷(荷車上げ・見返し辰五郎)・ 川口(荷車上げ)

本項掲載:紫波町日詰橋本組S62(駒木人形)・盛岡市の組H12(通算2作目)・沼宮内愛宕組・野田村中組H25
・絵紙『め組の辰五郎』(もりおか歴史文化館提供品)


 

岩手県野田村
(他地域)


 四ツ車大八は旧南部藩領の山車に広く見られる演題であり、岩手県内では二戸周辺で、大変味のある相撲取り裸人形を使った平三山車が出る。『め組の喧嘩』と題が付けば大八は梯子をかざし、潰し人形に纏をかざした火消しを付ける。『四ツ車大八』の題だと侍や無頼漢が潰しにつく。
 青森県では三戸・八戸などで山車に作られているが、大八を脇役にして火消しを主役にした作品が多い。一方で津軽藩領のねぶた・ねぷたの類にはほとんど登場しないようであるから、四ツ車は南部藩領内に限って爆発的に流行している演題なのかもしれない。
 秋田県では裸人形のメッカといわれる土崎祭りに、廻し姿で竹梯子を掲げた四ツ車の山車が登場していた。山形の新庄祭りにも、「め組の喧嘩」でたくさんの火消し人形と競演する四ツ車大八が登場した。新庄に限っては、決して定番ではなく珍しい趣向であったように思う。

 東北圏を出ると、北陸や九州の人形山車において四ツ車の姿を見ることはほとんど無いし、彫刻飾りや化粧幕に題材として使われることも無い。新潟だったか静岡だったか、大凧で喧嘩をするお祭りで、梯子を振り回す四ツ車の姿を凧絵にしている丁があったような気がする。



文責・写真:山屋 賢一



山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
盛岡山車
『四ツ車大八』
盛岡樋下建設
盛岡の組@A(本項)BC
日詰上組
石鳥谷中組
石鳥谷西組
一戸西法寺組
一戸野田組(荷車上げ)
岩手川口井組
紫波町大巻
沼宮内愛宕組(潰し有り:本項)
石鳥谷下組(荷車上げ)
岩手川口み組(荷車上げ)
日詰橋本組(本項)

盛岡新穀町・沼宮内愛宕組(潰し有り)
盛岡青果市場(侍の潰し有り)
盛岡三和会・沼宮内大町組
一戸橋中組@A(潰し有り)
一戸上町組@
一戸上町組A・浄法寺
一戸野田組(荷車上げ)
石鳥谷下組
一戸上町組(富沢)
盛岡樋下建設(正雄・色刷り)
日詰橋本組・一戸西法寺組(正雄)
盛岡の組@B
石鳥谷中組
一戸野田組(荷車上げ:圭)
石鳥谷下組(荷車上げ:手拭)

盛岡新穀町
沼宮内愛宕組
盛岡青果市場
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

義理と人情(なさけ)を 両手に込めて 高くかざすや 四ツ車
義理と情けを 両手に込めて かざす車や 男意気
見るも勇まし 化粧の車 義侠美談
(ぎきょう びだん)で 名を残す
其の名大八 花四ツ車 神明弥生
(しんめいやよい)の 町土俵
やぐら太鼓に め組の半鐘
(はんしょう) 響く土俵に 花が咲く
命知らずの め組を敵に 回す阿修羅
(あしゅら)の 四ツ車
意地であらそう 力士と鳶よ 死して其の名は とこしえに
江戸芝神明
(えど しば しんめい) 勧進相撲(かんじんずもう)で 大輪かざす 四ツ車
やンれやンれと 拍子を上げりゃ 微笑み返すか 四ツ車





『め組の辰五郎』大正期盛岡絵紙:もりおか歴史文化館提供


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