盛岡山車の演題【風流 義経一の谷】
 

鵯越の逆落とし

 



一戸町橋中組平成17年

 源平合戦の英雄源義経(みなもとの よしつね)が歴史の表舞台に現れる有名な奇襲戦法「鵯越の逆落とし(ひよどりごえの さかおとし)」の山車である。歴代の作品には、『鵯越の義経』『義経一の谷』『義経一の谷の戦い』『義経鵯越の逆落とし』など様々に題がついている。義経の伝説中五條の橋と並ぶ知名度を誇るものだが、盛岡山車の義経ものとしては必ずしも定番ではない。
 一ノ谷の戦、義経は平家を背面から突くべく六甲山の難所を越えて鵯越という断崖に辿り着く。崖の下に布陣した平家方は「敵など攻めてくるものか。」と油断しきっていた。それもそのはず、一の谷は人はおろか獣もめったに近寄らぬ屏風を立てたような絶壁が三方をぐるりと巡り、最後の一方は海原が囲む自然の要害である。馬で攻めるも徒(かち)で攻めるもまったく容易ではない。義経は鹿の一群が鵯越を越えていくのを見て、なだめ諭す家来らにこう呼びかけた。「馬も四本の足、鹿も四本の足、四本足の鹿が下れるのだから、同じ四本足の馬が下れぬわけはない。」高らかに音声をあげ、先陣切ってまっさかさまに駆け下る義経。弁慶ら郎党の一団がそれに続く。けたたましい鵯の声に混じって切り立つ崖を疾風のように下る義経軍、油断していた平家はなすすべも無く壊滅し、瀬戸の海に逃れた。

 騎馬武者の山車というものは、たいてい馬が前足を折って躍り上がるような姿に作られるものである。『義経一の谷』はこれとは逆の「下り馬」を使い、前足は伸びて頭は低い位置に設定される。盆を大きく飛び出して観客に迫るような馬は迫力満点、意外性も手伝って毎回観衆から高い評判を取る。下り馬は上半身だけを山車の進行方向にあわせて設置する例もあるが、全身を飾り下半身を坂の上に上げて斜めに傾ける工夫も功を奏す。義経は弓を手にして手綱を構える姿が普通だが、刀を抜いて天に翳しながら駆け下る躍動的な構図もあった。義経を真っ直ぐ馬に乗せるのではなく、やや後ろに反るような姿に作ると駆け下る躍動感が出る。

盛岡な組平成10年

 盛岡市内では本町「本組」や仙北町「は組」が手がけ、平成に入ってからは仙北町の作品の流れを継承した岩手郡岩手町での盛作が際立つ。沼宮内の新町組は下り馬に弁慶を乗せて『風流 一の谷弁慶』を作り、大銀座祭りに出場した。川口の下町山道組は、義経弁慶の2体2頭立て鵯越を作っている。
 平成17年は大河ドラマが義経であったこともあり、五条の橋とともに一の谷の山車が各地で盛作された。

 鵯越の伝説を採り上げた盛岡山車には、他に『畠山重忠』がある。




文責・写真:山屋 賢一

山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
義経一の谷 盛岡な組(本項2枚目)
一戸橋中組(本項1枚目)
川口下町山道組
十日市山車
沼宮内新町組
一戸上町組

大迫若衆組

土沢中下組(本項3枚目)
花巻上町
住田町仲組
久慈め組
盛岡本組
盛岡は組
石鳥谷上若連
川口下町山道組

二戸福岡長嶺ほか
盛岡な組・川口下町山道組(白黒・色刷)
一戸橋中組・一戸上町組(香代子)
葛巻浦子内組(手拭)
沼宮内新町組(手拭)

盛岡は組
盛岡本組
万灯絵紙
一の谷弁慶 沼宮内大町組 沼宮内新町組(町内)
沼宮内新町組(銀座祭)
沼宮内大町組

沼宮内新町組
義経弁慶鵯越 川口下町山道組 川口下町山道組
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岩手県旧東和町土沢

(ホームページ公開写真)

岩手川口 沼宮内 沼宮内 一戸
大迫 平三山車 気仙世田米




(他地域の『義経一の谷』)
 鵯越の逆落としは、義経の山車人形として採り上げられることが極めて多い場面である。岩手県内では大迫のあんどん山車のほか、二戸地方、花巻地方、東磐井・気仙地方などで製作例がある。東北では青森の八戸山車・弘前ねぷた、秋田県の土崎曳山、宮城県の栗駒山車祭りなどで取り組まれた。栗駒で出た鵯越の山車は、脇に落馬した兵卒を添えるなど面白い工夫がたくさん取り入れられた意欲作であった。単に義経の騎馬姿を描く場合、わかりやすいのでとりあえず「鵯越の義経」と題を付けることも多い。


(音頭)

馬も恐れる 鵯峠(ひよどり とうげ) めざすは平家 一ノ谷
人馬
(じんば)もかよわぬ 鵯越を 九郎判官(くろう ほうがん) 逆落とし
眼下に見下ろす 平家の陣地 嵐の前の 一の谷
平家の守り 鵯坂を 逆さに下る 奇襲攻め
われに続けと 一声発し 鵯越の 逆落とし




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