盛岡山車の演題【風流 歌舞伎十八番 矢の根】
 

矢の根

 



「矢研ぎ」紫波町日詰上組平成14年

 通称『矢の根五郎(やのね ごろう)』という。父の仇討ちに18年の短い生涯のすべてを尽くした曽我十郎・五郎兄弟の物語のひとつで、舞台は華やかな正月、役者が魔除けの弓矢を担ぎ出して景気良く悪魔払いをする縁起の良い演し物である。

「馬上」浄法寺上組平成27年

 仇討ちに闘志を燃やす曽我五郎時致(そがのごろう ときむね)は、みなの浮かれる元旦すら来るべき日に備え、富士山を背にしてばかばかしいほど大きな鏑矢(かぶらや)の鏃(やじり:これを「矢の根」とも呼ぶ)を研いでいる。仇討ちを目指す兄弟の大志は、まさにこの矢のように途方も無い大きさなのだ。そこに大薩摩文太夫(おおざつま ぶんだゆう)がやってきて新年の祝い歌を歌う。五郎が縁起を担いで宝船の絵の上に転寝をすると、夢枕に兄の十郎が現れて「籠中(こちゅう)の鳥かや、網裏(もうり)の魚」と囚われの危機を訴えていた。驚いて飛び起きた五郎は四方の悪魔祓いをした後、大根売りの裸馬を奪って乗り込み一目散に兄の救出へ向かう。

 「赤い歌舞伎人形」というのが盛岡山車ではよく映える。決して赤一色ではなく、白や黄色・黒など周囲の色彩で赤を引き立てている歌舞伎のいでたちである。矢の根五郎は「赤い歌舞伎」の筆頭で、盛岡山車の歌舞伎演題としても定番中の定番である。二本筋隈取り、車鬢、蝶の刺繍の赤い着物、蝶の刺繍の黒どてら…、歌舞伎の成し得る最高の彩りがごてごてしいまでに名優の姿を彩り、派手さ華やかさで云えば間違いなく、歌舞伎山車の珠玉といえる。

一戸町西法寺組平成9年

「矢研ぎ」盛岡市南大通二丁目町内会平成3年

 炬燵櫓(こたつやぐら)に腰をおろし、たらいに入れた砥石(といし)で鏃を研いでいる姿が一番よく採り上げられるが、これは戦前に盛岡紺屋町のよ組が工夫したものであった。幕が開いた直後の役者の姿であり、芝居絵などにもよく描かれている。矢研ぎの五郎には紅白の格子の着物を着せるのが通例で、構えは、歌舞伎では両手とも掌を下向きにして強そうに見せるそうだが、山車人形にするとぎこちなく見えることがあるので、右手を上向きにして組んだ作品も多い。目線は砥石に送らせるものと正面静視と両方あるが、結果的にはどちらもよく映える。砥石の無い矢の根とか、橋の無い和藤内というのはほとんど無いが、人形の華やかさに目がいきすぎてこれらになかなか注目出来ないできたのはなんだか申し訳ない。

「石鳥谷型」石鳥谷上和町組平成17年

 矢を研ぎあげて小脇に抱えた五郎が片手を上げて見得を切る姿は、山車ではでっぷりと恰幅のよい人形に仕上げられることが多い。これは石鳥谷に限って見られる独特の矢の根五郎である。昭和の末に上若連・平成に入って中組・平成17年に上和町組、三者の構図がほぼ同じであるのは偶然ではないだろう。「限って」と書いたが、歌舞伎山車をよく作る花巻の豊沢町でも昭和末期に似た構図を、また盛岡のさ組が初めて出した時の矢の根も分析する気で見ればこの構図に近い。赤地に蝶の着物は格子の着物より赤の表面積が多いので、このタイプの矢の根五郎はますます赤くなる。
 大きな矢を担いで片足立ちになった矢の根五郎が、最近増えてきた。これも専ら赤地に蝶・または無地の赤の着物で飾る。盛岡ではさ組とか三番組・観光協会・の組、一戸町や石鳥谷でも駆け出す五郎の山車が出ている。特に三番組の駆け出し矢の根が見事な出来映えだったので、後々いろいろなところで構図が真似られた。背景を薄い水色にしたことで、五郎の赤が際立って実に美しかった。近年のさ組の矢の根は「鯱鉾立ち(しゃちほこだち)」といって、反り返るような背の高い体勢が独特である。舞台を板間にして、背景に富士山を浮き彫り仕立てで飾るのが定例化している。

「片足立ち」盛岡市三番組平成9年

 異色のものでは、盛岡の前潟わ組が出した黒いどてらの矢の根五郎、というのがあった。矢の根五郎だが矢は背景の建具に刺さっているだけで、五郎は刀の柄を構えて板間に踏み出している。夢から覚めて、いざ工藤の館へと踏み出す姿である。黒どてらには美しい蝶の模様が縫い取ってあり、これは定番の矢の根では両袖を抜かれた形で腰周りを彩るものである。背景として明るい青地に富士山を描き、『対面』などで使う青白格子の雨戸を上に掲げたのも効果的であった。
 同じく城西組が作った矢の根五郎は、花道に下がる場面を再現した。裸馬に乗って片手に青首大根を振りかざす、これ以上ない異色の姿である。馬は裸馬なので鞍を付けず、蓆を敷いて手綱も縄にし、素足のまま親指をあぶみ代わりの縄の輪に入れた。意外性の反面、矢の根五郎本体の華やかさ・豪華さが目立ちにくくなる懸念はある。
 背景には何本か矢を立てたヤカジを配置するのが定例となっているが、紹介してきたようなさまざまな意匠の富士山・格子の障子、鞘に納まった刀を横に三本など新たな試みも出始めている。対応する見返しは今のところ作られていないが、正月風景ということで『羽根の禿』を稀に重ねる。


「傍らに十郎」山形県新庄市(購入写真)
(他地域の『矢の根五郎』)

 歌舞伎を山車にする通例がある地域ではおおむね登場しているようだが、暫や助六などと比較すれば登場頻度は低い。おそらく、1体仕立てに作らざるを得ないからである。歌舞伎山車を好む秋田の角館では多くの例で1体仕立てだが、裸馬を引いてきた馬夫と五郎を並べ2体の趣向とした例がある。人形ねぶたの取材例も稀で、矢を研ぐ姿は作っていない。
 八戸山車には「初夢縁起」や「大津絵道成寺」に脇役として矢の根五郎が登場している。関東の山車人形(作り変えない人形)に歌舞伎の趣向として「矢の根」と「鏡獅子」があるが、これも珍しい例である。

『大津絵道成寺』青森県八戸市


文責・写真:山屋 賢一



(ホームページ公開写真)

(矢研ぎ型)沼宮内大町組  日詰橋本組  石鳥谷中組  盛岡よ組

(駆け出し型)石鳥谷西組  盛岡観光協会  盛岡の組  沼宮内大町組

(新構図)盛岡城西組  盛岡さ組  一戸西法寺組  




山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
矢研ぎ 盛岡観光協会
沼宮内大町組@
盛岡よ組@A・日詰上組(本項1枚目)
沼宮内大町組A
日詰橋本組
石鳥谷中組
盛岡よ組@
盛岡よ組A
盛岡南大通二丁目(本項4枚目)
日詰橋本組
日詰上組
滝沢山車まつり

九戸村
秋田角館
盛岡南大通二丁目
盛岡よ組@(白黒)
盛岡よ組A(色刷り)
沼宮内大町組
石鳥谷中組(手拭い)
盛岡よ組B(富沢:加工)
滝沢山車

盛岡よ組
盛岡観光協会
駆け出し 石鳥谷上若連
盛岡さ組@
一戸西法寺組(本項3枚目)
盛岡三番組(本項6枚目)
石鳥谷中組
盛岡さ組A
石鳥谷上和町組(本項5枚目)
石鳥谷西組
盛岡観光協会
盛岡さ組B
盛岡の組
滝沢山車
沼宮内大町組
石鳥谷中組 盛岡さ組@
盛岡三番組(圭)
盛岡さ組A
盛岡観光協会(圭)
盛岡さ組B
盛岡の組
沼宮内大町組

一戸西法寺組
黒どてら 盛岡わ組 盛岡わ組(圭)
馬上 盛岡城西組
一戸西法寺組
浄法寺上組(本項2枚目)
盛岡城西組(圭)
一戸西法寺組・浄法寺上組
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

歌舞伎舞台に 迫り出す(せりだす)は 矢の根五郎の 晴れ姿
神輿のお供に 上組屋台 意地と義侠の 曽我の五郎
富士と五郎は 日本のこころ 仇討つ曽我の 大薩摩
(おおざつま)
梅の香ゆかし 矢の根の五郎 黒に揚羽
(あげは)の 蝶が舞う
蝶も華やか 襷
たすき)は仁王 矢の根五郎の 見得の佳(よ)
歌舞伎十八番
(かぶきおはこ)の 初曽我もので 五郎時致 見得を切る
歌舞伎十八番の 矢の根を飾り 五郎時致 見得を切る
歌舞伎名代の 矢の根の五郎 邪気を祓いて 睨む曽我
現人神
(あらひとがみ)と 仰がれ此処に 成田屋十八番の 男花(おとこばな)
父の無念を 矢の根に託し 曽我の五郎の 勇ましさ
歌舞伎十八番の 矢の根の五郎 成田屋二世の 当たり芸
五郎のつらね 大薩摩に乗せて 江戸の初春
(はつはる) 矢の根曽我
翼はためく 胡蝶の如く 吉兆
(きっちょう)歌舞伎も 曽我の見得
縁起担ぎし 五郎の夢が 囚わる
(とらわる)兄者(あにじゃ)の 危機知らせ
歌舞伎十八番の 矢の根の五郎 ニ本筋隈
(すじぐま) 車鬢(くるまびん)
兄の願いを 矢の根に籠めて 四方に睨みの 見得を切る

※矢研ぎ
矢の根砥ぎ初め
(とぎぞめ) 五郎のすがた 初春を寿(ことほ)ぐ 歌舞伎見得
仇討ついきりは 熾り
(おこり)を宿し 光る矢の根に たぎる意志
矢の根切っ先 あだ討つ覚悟 好機
(とき)を見据えて 研ぎ澄ます

※駆け出し
踏み出す姿も 鬼神
(きしん)の如く ニ本筋隈 車鬢
弥猛心
(やたけごころ)を 矢の根に込めて 鯱鉾(しゃちほこ)五郎の 見得の良さ
江戸は元禄
(げんろく) 舞台は五郎 大矢(おおや)抱えて 見得を切る
黒繻子
(しゅす)どてら 七色揚羽 仁王襷に 車鬢

※馬上
駒に跨り 疾風
(はやて)の如く 目指すかたきは 祐経(すけつね)
黒馬鞭込め 万里
(ばんり)を跳びて 五郎めざすは 敵の舘
かたき討たんと 勇猛決起 疾走時致 勇ましく
黒毛またがり 大根鞭に 五郎時致 敵陣へ
鞭に込めたる 兄者の思い 五郎時致 馬の上



【写真抄】
(1枚目)紫波町日詰上組平成14年、盛岡よ組平成13年の作を改めて組み直したもの。矢先を見る矢研ぎの型で、独特の矢羽根のデザインは古絵紙から取った。(2枚目)二戸市浄法寺上組平成27年。一戸の西法寺組からの借り上げだが、頭は現地より大ぶりのものに付け替えバランスを改善している。丈の低い山車ながら人形の設置位置が良く迫力見応え充分で、馬上の矢の根五郎では目下一番の秀作である。(3枚目)一戸町西法寺組平成9年。県北部では歌舞伎の山車はほとんど出てこないので、一戸でこの矢の根五郎が出たときには大変な喝采を浴びたのだという。歌舞伎山車といえば西法寺、と評価を固めた一作。(4枚目)盛岡市南大通二丁目町内会平成3年。正面静視の矢研ぎは安定感があってよい。盛岡観光協会が肌色に隈を取って作った構図を白塗り筋隈で再作した形だが、もちろん頭・着物などすべて新調であり、南大通では歴代唯一の新作の山車となった。(5枚目)石鳥谷町上和町組平成17年。本文で触れた石鳥谷型矢の根の最新作であり、上若連・中組の作品に比べて明確に前に向かった躍動感がある。顔の描き方が勇ましかった。(6枚目)盛岡市長田町三番組平成9年、片足立ち五郎の秀作。以降この型の真似が多数の山車組によってなされたが、なかなかこの味のある風貌は出せないようである。人形の量感とともに、巧みな配色も素晴らしい。(7枚目)山形県新庄市で購入した写真。当地の歌舞伎山車はたくさん人形を使うので、この作品では五郎の夢の中の十郎の姿まで舞台に上がっている。五郎の口は近くで見ると開いていて、口の中にはきちんと歯が生えている職人技の逸品。(8枚目)青森県八戸市 内丸の山車『道成寺』。山車の右翼に表現された大津絵道成寺は、藤娘が大津絵の「鬼の空念仏」に変身して矢の根五郎や弁慶と戦う筋書き。八戸では売市で創作され、翌年内丸親睦会が「道成寺」の一翼に加えた。


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