盛岡山車の演題【風流 天慶の乱】
 

天慶の乱(平将門)

 



沼宮内大町組平成20年(提供写真)

 日本史上に「三大悪人」というのがいる。天皇になろうとした坊主の弓削道鏡(ゆげのどうきょう)、都から天皇を追い出した足利尊氏、そして「初めて天皇・国家に歯向かった」平将門(たいらの まさかど)である。「反逆者」平小次郎将門は血筋ではなく実力で権力を得ようと考えた、日本最初の人物であった。時は朱雀(すざく)天皇の御世、まがりなりにもまだ天皇が政治の実権を握っていた時代である。

 義侠に厚い将門は、自分を頼った謀反人をかくまって国府軍と交戦し、次いで関八州の国璽(こくじ)を奪って坂東に独立国家を打ち立てようとした。この壮大な構想は破れたが、後に源頼朝による鎌倉幕府として結実することを思えば、将門こそ、武士の世という新時代の旗手であったといえる。
 しかしながら、「自分の館を『御所』と呼ばせ、自らは恐れ多くも『親皇(しんのう:皇太子の意)』を名乗って朝廷に弓を引いた大悪人」というのが、長らく日本人の間に膾炙されてきた将門のイメージであった。祭典山車の将門もこんな調子で実にマガマガしいオーラを放っており、まず顔色は人間のそれとは程遠く、手にする武具も刀や槍ではなくて、鬼が使う金棒である。着物は公家の衣冠装束で、目の上は書き眉であるが、そんな姿で荒馬に跨り、鉄の金棒を振り回して暴れているのだ。これはあまりにもインパクトのある騎馬武者であり、一度でもこのような将門の山車を見た人は、一生平将門の名を忘れないだろう。

一戸町橋中組平成20年(提供写真)

 盛岡山車伝承域最北端の二戸郡一戸町で将門・純友の山車が比較的よく出るのだが、中には普通の騎馬武者と大差ない外観の若武者の将門もある。NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で将門が英雄として評価し直され、このとき一戸祭りに出された将門の山車の絵紙が今も町内に引き継がれている。秀作の若武者だし、三十代前半で落命した史実の将門はきっとこういう姿だったのだろうが、やはり何か物足りない気がする。山車や錦絵を見慣れた目から見ると、やはり将門は正義であるよりダークサイドに堕ちてこそ輝く英雄だと思う。

 将門の馬は、どちらかといえば下を向いた馬である。謂れによれば、将門の馬が風にあおられて棹立ちになったところを、平貞盛(たいらの さだもり)が父の怨みを宿した「天誅の一矢」を放ち将門の眉間に命中させたのだという。沼宮内の大町組で出した将門は、このようないわれを反映してか、馬に方向転換を思わせるような独特の角度がついた。

 元は神田神社に納められた有名な将門の絵を、戦前の国史画帖にてこの姿のまま馬に乗せ、金棒を持たせたものである。画題は「親王将門の最期」で、朝廷に逆らった将門が妖怪化して表現され、討伐軍の正義の矢に眉間を射られ絶命する寸前の場面である。顎鬚を立派に蓄えた将門のモチーフが印象深く、原案がどこにあるのかといろいろ考えてみたが、五月人形の「鐘旭さま」のイメージが少なからず加味されているように思う。いずれこの構想が全国の武者を題材とする山車の飾り物に採り上げられ、盛岡山車伝承域にも伝わった。結果的には、悪役のはずの妖怪将門が完全に主役を食って主役に上がっている。勇ましい構想だが、いざ山車にするとなるとなかなか難しく、特にも大人形の盛岡山車では迫力を崩さず、かつ構図を守って作るのは至難である。一戸で野田組が2度取り組み、平成に入ってからは沼宮内の大町組が演題に加えた。他系統では二戸の平三山車、青森の三戸・八戸・青森・弘前、遠くは大阪岸和田のだんじり彫刻にも将門が見られる。


『瀧夜叉』盛岡市長田町三番組昭和63年
「大宅太郎と妖怪」青森県むつ市田名部祭り額灯籠


 関連する背面の演し物は、将門の娘の『滝夜叉姫(たきやしゃひめ)』である。盛岡山車には、歌舞伎をもとに女郎に化けて蜘蛛の巣模様の晴れ着を着た姿で登場している。見目麗しい滝夜叉が御所に迫る討手を色仕掛けで阻もうという姿なのだそうだ。平五月姫(たいらの さつきひめ)は鞍馬の貴船神社で妖術を授かり滝夜叉と名を変え、将門亡き後の相馬御所(そうまごしょ)に妖怪変化を集めて京に攻め上ろうとしたといわれている。他地域では将門とともに馬上で奮戦する滝夜叉、蝦蟇に乗って討手を蹴散らす滝夜叉(平成に入って、盛岡でも蝦蟇に乗った滝夜叉が見返しに上がった)、討伐に訪れた大宅太郎光圀(おおやのたろう みつくに)と睨み合う歌舞伎の段切りの一場面、背中に蝶の羽根を伴った滝夜叉、髪を赤く染めた鬼女の滝夜叉…などさまざまな姿が登場している。将門の嫡男『将軍太郎良門(しょうぐんたろう よしかど)』が蝦蟇蛙を肩に乗せ相馬の旗を掲げる姿も、大迫あんどん祭りの山車に出た。将門の後日談は、このように枚挙に暇がない。

岩手県二戸市(提供写真)

 ついでに藤原純友(ふじわらの すみとも)の山車についても紹介しておきたい。純友は将門と同じ時期に、瀬戸内海で海賊とともに反乱を起こした伊予の国(いよ:現在の愛媛県)の役人で、将門と「お前は東、俺は西」と乱を共謀した伝説が残っている。
 山車の純友は海賊のイメージを色濃く写したもので、荒れ狂う海原に躍る八幡船(ばはんせん:海賊船のこと)の船首に人形を乗せる。髪の毛を振り乱した凄みのある髭面の武将が大鉞を頭上に振り上げる姿は、盛岡周辺における『毛剃九右衛門』の構図に酷似している。武者の山車を好む一戸において、難解な歌舞伎ものを著名な歴史物語と組み合わせることで編み出された演題であろうと私自身は長らく考えている。

文責・写真:山屋 賢一
(写真提供御礼 沼宮内大町組『平将門』・一戸町橋中組『平将門』・二戸市役所お祭り同好会『平将門』は読者様より)

 


山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
金棒の将門 沼宮内大町組(本項1枚目)
二戸市役所(本項5枚目)
青森三戸
一戸野田組
青森ねぶた
弘前ねぶた
沼宮内大町組

一戸野田組(富沢)
若武者の将門 一戸橋中組(本項2枚目) 一戸橋中組・日詰下組
一戸上町組
一戸橋中組

一戸橋中組(富沢)
滝夜叉 沼宮内大町組
盛岡観光協会

青森三戸@A
青森八戸(表裏)
青森黒石
盛岡三番組(本項3枚目)
将軍太郎良門 大迫上若組
藤原純友 二戸福岡は組
一戸交通安全ミニ山車
葛巻町茶屋場組 一戸交通安全(富沢)

一戸上町組
※掲載4枚目:青森県むつ市田名部まつり額灯籠『相馬の古内裏』 / 閲覧・提供ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

見るも勇まし 荒馬すがた 時天慶(てんぎょう)の 朝嵐(あさ あらし)
八州従え あまたの戦 平将門 武勇伝
平小次郎
(たいらの こじろう) 将門なりと 叫ぶ音声(おんじょう) たからかに
町の勢い 子若
(こわか)の囃子 野田が繰り出す 暴れ馬
坂東
(ばんどう)一円に その名も高い 武将の将門 馬の上
坂東八国 切り従えて 自ら名乗る 親皇
(しんのう)
坂東制覇に 寄せ手も怯
(ひる)む 平将門 名を馳せる
いななく駿馬
(しゅんめ)か 雄叫び高く すさぶ坂東 風雲児


※滝夜叉

滝夜叉・光圀(みつくに) 争いし 歌舞伎に残る 忠義傳
父の無念を 晴らすがために 鞍馬
(くらま)に籠(こも)り 術を得る
怨み抱いて 貴船
(きぶね)の杜(もり)で 宿す妖力 夜叉となる
相馬
(そうま)(にしき)の 御旗(みはた)を掲げ 使う妖術 滝夜叉が
妖術受けて 五月
(さつき)の姫が 下総(しもうさ)戻り 乱起こす
ついえた野望に 妖術ふるい 怨み滝夜叉 夢を追う


※将軍太郎良門

蝦蟇の妖術 将軍太郎 野望とどかず 剣を折る

※藤原純友

怒涛瀬戸海(せとうみ) 命を懸けて 明日を夢見る 純友(すみとも)
怒る純友 唸る鉞
(まさかり) 交通三悪 退散す 
※交通安全PR山車の音頭
天慶の御代(みよ) 果たせぬ思い 波に砕ける 八幡船(ばはんせん)

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