大江山鬼退治
源頼光(みなもとの らいこう)は、史実では武人というより貴族的な性格が強いようである。源頼朝が源平合戦を勝ち抜いて武士の世を築いた時、祖先の功績を過大に描いた数々の武勇伝を作り、源氏を後々まで武士の頂点に立たせようとした。一連の伝説では、頼義・義家あたりまでは史実に添うので人間と戦うが、頼光は鬼や妖怪と戦う。特にも「御伽草子(おとぎぞうし)」に見える大江山(おおえやま)酒呑童子退治は、頼光の武勇伝を代表する逸話として広く知られている。 盛岡の夕顔瀬町の山車に一度、鬼に変わる前の童子姿の酒呑童子が一体飾りで登場している。錦を纏い杯を高く掲げた風格ある歌舞伎人形であったようだ。
京の町で、美女がさらわれる事件が続発した。丹波(たんば)の大江山に棲む鬼の仕業という。内裏では当初、祈祷師などに頼んでこれを鎮めようとしたが収まらず、武人を使った直接手段で収拾を図ることとなった。当時都随一の武人であった源頼光に鬼退治の勅命が下り、頼光は渡辺綱など配下の四天王を引き連れて大江山に向かう。鬼達の油断を誘うため山伏(やまぶし)に身をやつし、途中で住吉・八幡・熊野の神々から「神便鬼毒酒(じんべん きどくしゅ)」を授かる。これは人には美酒で、鬼には毒と働く不思議な酒であった。
大江山では鬼達の宴の主席に子供の姿をした大きな鬼が据わっていて、名を酒呑童子(しゅてんどうじ)といった。童子は宴もたけなわとなる中で頼光達に気を許し、鬼毒酒に酔って寝込んでしまう。するとみるみるうちにその姿は真っ赤な鬼に変わる。変装を解いて鎧姿になった四天王は童子の両手両足を鎖で縛って一斉に斬りかかり、首を落とした。勝負あったと思いきや、恐ろしくも童子の首は天に舞い上がり、目をらんらんと光らせ口からは火を吹いて頼光一党に襲いかかってきたではないか。苦戦苦闘の末、何とか頼光四天王は酒呑童子を討ち取り、都に凱旋するのであった。
盛岡型の山車に登場するのは、以上の物語の最後の場面 首だけになった酒呑童子が鎧姿の武者に襲いかかる部分である。少々残酷なような気もするが、これであれば表現する部分が顔だけで済むので手軽であるし、いくらでも大きく作ることが出来る。一戸の橋中組は特にも鬼の首を大きく、舞台の半分程度を占めるほどに作って奇抜に演出している。戦前には盛岡でも出たらしい演題で、盛岡の山車組が助力していた時期の石鳥谷でも演題に上がっており、いずれも酒呑童子に胴体は無かった。趣向の肝は何といっても鬼の顔であるが、後述する八戸山車や青森ねぶたに好例があるため、なかなかこれらと差別化しづらく作りづらい。退治する側は兜を被った鎧姿であり、山伏姿で作られた例は無い。
(他地域の状況)
文責・写真:山屋 賢一
(絵紙『大江山 酒天童子』盛岡市夕顔瀬会昭和35年:本項掲載2枚目 は、もりおか歴史文化館様提供)
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大江山鬼退治
一戸橋中組・日詰下組(本項1枚目)
盛岡本町
一戸橋中組・葛巻浦子内組
石鳥谷上若連
一戸本組盛岡本町
一戸橋中組@A
一戸本組(正雄)
酒呑童子
盛岡夕顔瀬会
盛岡夕顔瀬会(富沢:
本項2枚目)
天下無敵の 源頼光(みなもと らいこう) 都を荒らす 鬼退治
藤氏(とうし)倒して 世をたださんと 籠もる丹波(たんば)の 大江山(おおえやま)
禁裡(きんり)守護する 頼光朝臣(よりみつ あそん) 下に保昌(やすまさ) 四天王
山伏(やまぶし)姿で 油断を誘う 酒呑童子(しゅてんどうじ)の 酒の宴(えん)
道に迷いし 山伏姿 酒呑童子も 気を許す
清和源氏(せいわ げんじ)に とどめし勲(いさお) 酒呑童子を 血祭りに