鯉は池の中で泳いでいる分にはのどかな魚だが、えさを池に撒いたとたん争ってこれに群がり、すさまじい勢いで食べ始める。そういう様子を見ると、水の中の生き物で最も化け物になりやすいのは鯉、という昔の人の発想がよくわかる。中国では、鯉は滝をさかのぼって龍に生まれ変わると信じられ、日本では鯉を捉える童子の姿に立身出世の願いを込めた。 比叡山延暦寺（ひえいざん えんりゃくじ）の稚児（ちご）の中に鬼若（おにわか）という乱暴者がいて、いつも他の稚児達から仲間はずれにされては暴れていた。和尚さまもあきれてほったらかしていたこの乱暴ものであるが、実はすごく優しい心をもっていて、日ごろから付近の民を悩ませる暴れ鯉のいる池に単身乗り込み、格闘の末見事しとめる偉業をなして人びとを喜ばせたりもした。が、この稚児のそういった機転であるとか勇猛さであるとかは長く比叡で認められることなく、後に武蔵坊弁慶（むさしぼう べんけい）として義経に仕えて大活躍しようなどとは、誰も夢にも思わなかった。 鯉と若者が戦う構図は、鬼若丸の他にもいくつかある。特に『乙若丸（おとわかまる）』は、鬼若丸と全く同じ構図を清和源氏の御曹司の武勇伝として描いたものであり、盛岡では戦後によ組など数団体、一戸の橋中組が見返しに、沼宮内ではの組が表で出している。音頭を見ると単なる誤植とも思えず、一戸の橋中組では農業に関わる伝説といわれ、鬼若とは別物とされていたようである。あまり祝い事にふさわしくない鬼若の「鬼」の字を避けたいが故の一策であるようにも思える。 『滝窓（滝間戸）志賀之助（たきまどの しかのすけ）』は、「鯉つかみ」という歌舞伎に登場する若者で、人（志賀之助だったり、相手の姫だったり）に化けていた鯉の妖怪と格闘する。実際に水の中に入って格闘を演じる大変見応えのする趣向で、最近はアメリカのラスベガスでも上演された。 ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ （音頭 鬼若丸） ふるさと思う 若衆の声に 出でよ鬼若 勇ましく （音頭 乙若丸）
蘭奢（らんじゃ）薫るる 乙若丸が 鯉と戦う 晴れ姿 （音頭 滝間戸志賀之助）
躍る大鯉 仕留めし誉れ 名も滝間戸（たきまど）の 志賀之助（しかのすけ）
盛岡周辺で作られる鬼若丸（おにわかまる）の山車は、晴れ着姿の少年が張子作りの大きな鯉と戦う場面を作ったものである。鬼若は晴れ着の片袖を抜いていて、構えは細かく見れば様々だが、おおざっぱに言えば短刀（たんとう）を手にした片手を振り上げて鯉に立ち向かう型である。鯉に乗りかかる格好のものが大多数で、特に近年は、鬼若が地に足を着かずダイナミックに飛び上がっている演出が多い。大正時代には完全に鯉に跨った姿で作られたこともあり、川口で出た鯉の真上にいる鬼若丸はこの発想に近い。一戸では単にざんばらの髪型で出すが、沼宮内以南ではきちんと稚児の髪に結って作る。
鯉の多くは頭を下にした下り鯉に作られ、色は黒が多いが、変化を付けて上り鯉・赤い鯉・白い鯉・青い鯉・錦鯉などが凝らされたこともあった。鱗は一枚一枚紙で作って体に貼り付ける。飾りの表裏を分ける中岩を取り払って鯉の半身を見返し側に通すような試みも以前は多く為されたらしく、平成に入ってからは一戸で鯉を上に配してこの趣向が採られ、観衆を圧倒した。
盛岡では仙若、一番組、よ組、本組、一戸では本組と上町組、沼宮内では野口町のの組が得意演題としている。
盛岡や一戸では涼やかな浴衣姿・裸人形で志賀之助を山車に仕立てる。鯉は鬼若や乙若では頭を下へ向けることが多いが、志賀之助の場合は上に向けられる。鯉を半身だけにして、その分大きく作った例がある。由来はあまり知られず「鬼若丸」との混同も見られたようで、富沢茂氏の手になる登り鯉にざんばら若衆の絵番付は『柳川庄八』『西塔鬼若丸』そして『滝間戸の志賀之助』と、異なる３つの題がついた（一戸町）。歌舞伎山車に定評のある二戸の五日町では、志賀之助を歌舞伎に依拠した中国風の派手な衣装で作っている。
大迫のあんどん山車に登場歴のあった『大工六三（ろくざ）』も、同様に「鯉つかみ」と称される歌舞伎からの取材のようである。
鯉の登場する山車にはほかに、『鯉と（の）音吉』（戦前期盛岡、由来不明）、『柳川庄八時貞（やながわしょうはち ときさだ）』、見返しの『鯉太郎』（盛岡城西組、由来不明）、『金太郎バケ鯉退治（鯉金時)』、『鯉の滝登り』がある。
文責・写真：山屋 賢一
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絵紙
鬼若丸
盛岡本組・（改）日詰上組
沼宮内の組
沼宮内の組（見返し）
一戸上町組
石鳥谷上和町組
沼宮内大町組（見返し）
二戸川又（見返し）
大迫下若組@A（ともに見返し）
盛岡と組
沼宮内新町組（本項１枚目）
岩手川口み組
盛岡一番組@A
一戸本組・二戸は組
盛岡本組（圭）
一戸上町組
石鳥谷上和町組（手拭）
盛岡と組（辰一）
沼宮内新町組（手拭）
盛岡一番組@A
一戸本組（富沢）
押絵番付（富沢）
乙若丸
沼宮内の組（本項２枚目）
日詰下組（見返し）（本項３枚目）
盛岡青物町
盛岡よ組
一戸橋中組（見返し）
（写真）
盛岡青物町
盛岡仙若
盛岡よ組
滝窓志賀之助
浄法寺仲の組
盛岡東組
一戸上町組
二戸五日町@(本項４枚目：提供品)A
秋田角館
浄法寺仲の組（富沢）
一戸上町組（富沢）
盛岡東組
梁（柳）川庄八
小鳥谷仁昌寺
一戸本組（富沢）
鯉金時(見返し)
日詰下組
二戸川又
鏡ヶ池の あやしき魚（うお）を 鬼若丸の 仕留めたる
鯉の化け物 仕留（しと）めし怪童（かいどう） 後（のち）の弁慶 鬼若丸
わらべといえども 鬼若丸は 鯉を退治し 名を馳せる
怪童鬼若 短刀構え 大鯉仕留めし 比叡山（ひえいざん）
鯉に跨（またが）る 鬼若丸が 翳（かざ）すやいばに 日のひかり
大鯉（こい）を仕留めし 鬼若丸は 比叡に学ぶ 武蔵坊（むさしぼう）
若き弁慶 荒武者修行 巨鯉またがり 時馳せる
比叡（ひえ）の山にて 重ねし修行 智勇優れし 若弁慶
民を悩ます 大鯉を 鬼若丸が さしとめる
奇譚（きたん）鯉取り 滝棲む主と 鬼若博闘（はくとう） 散る飛沫（しぶき）
単身鬼若 大鯉仕留め 民の悩みを 捻（ね）じ伏せる
八尺（はっしゃく）大鯉 鬼若丸が 単身挑み とどめ刺す
清和源氏（せいわ げんじ）の 血を引く麻呂（まろ）が 手取りし鯉の 大きさよ
音に名高き 乙若丸が 鯉を引き出す 恵比寿綱
躍る勇魚（ゆうぎょ）を 手取りし麻呂の 勲（いさお）伝えて 永久（とこしえ）に
見るも勇まし 荒れ来る波の 飛沫を浴びて 鯉つかみ