盛岡山車の演題【風流 那須与一】
 

那須與一

 



日詰下組平成2年

 山車の上の那須与一(なすの よいち)を初めて見たとき、まず矢の存在感を感じた。矢の先端がすごく立派なのである。後々こういう矢は鏑矢(かぶらや)という、実戦向きでない矢なのだと学んだ。矢の根五郎が研いでいるのも鏑矢だが、矢先が下に向く構図では矢先に目が行かないから気が付かなかった。鏑矢を見せる山車といえば、やはり那須与一だなと思う。

 源平屋島の合戦における有名な逸話で、中学校の国語の教科書にも掲載されている。屋島の戦に敗れ海上に引き上げた平家の船団のうち、一艘に掲げられた「扇の的」。雅やかな平家の官女が扇を指差して何か言っているのを、砂浜に陣を張る源義経が目に留めた。あれは間違いなく「この的を射止めて見せよ。」と言っている。義経は、弓矢の名手と名高い那須与一宗高(なすのよいち むねたか ※表記は「宗孝」とか「宗隆」とかいろいろ)を呼び寄せた。与一はこのとき17歳の若さであったが、腕を見込まれ、扇の的を射落す役を引き受けることになった。船の上に掲げられた扇、しかもその船は沖の夕波に揺られ、ふわふわと漂って狙いが定まらない。このような大舞台で仕損じることは、武士にとっては死を意味する。与一は鏑矢を弓に番えて(つがえて)一念、「南無八幡大菩薩(なむ はちまんだいぼさつ)」と唱えた。一瞬、海原が凪いで的が定まる。
 ひゅうっと鏑矢が鳴いて、扇の的に吸い込まれた。そのままひらひらと、要(かなめ)を射られた扇の的が波間に落ちる。義経の陣はもちろん、平家の船団も与一の妙技に大喝采、これぞ武家の世界の「風流」であった。

志和町山車平成27年

 扇の的には、源氏と平家のいずれに神の加護が下るかを占う意味があったといわれている。屋島撤退で士気を失った平家方は、源氏の士気を萎えさせようと無理難題を吹っ掛けたのだが、与一は見事これを打ち破った。扇の的は、まさに平家の運命の象徴だったのである。

一戸町本組平成27年

 弓を使う代表的な演題であり、構図にどのように弓が挿入されてくるかが見所である。「弓は満月」と謡われる如く矢を番えて弓を目一杯絞っている姿が一般的だが、弓の上端が山車の上に突き出たり、矢が顔を遮ってしまったりしてなかなか難しい。そのため矢を放ってしまった後の与一、あるいは弓を絞る前の与一を採ることもある。弓を構えず単に沖を見ている馬上の与一というのもあった。与一が狙っているのは扇の的であって、敵兵ではない。だから他の武者のようにただ勇ましいだけでは良くない。馬すら静かに波間にたたずんでいて、躍動を主としたほかの演題の馬とは一線を画す優美な表情をしている。与一は鎧姿だが、兜はかぶらずに烏帽子をかぶり、若武者なので髭も無い。矢も目線も遠くを向いているように見えれば、まことに風流な那須与一になる。見返しには船上で扇の的を指差す小玉虫(こたまむし)を飾り、『見返し 扇の的』とすることが多い。
 昭和期には一戸では本組・上町組、盛岡でもめ組(および各地の指導団体)・本組、まため組の支援のもとでテレビ岩手でも出したことがある。平成に入ってからは一戸の橋中組以外に特に作例はなかったが、次第に各地で採られるようになりつつある。
 作風の境界域に位置する二戸市の川又連合(か組)は平成に入ってかなりのヘビーローテーションで与一の山車を出しており、船に女官を乗せて扇の的を与一と同じ舞台に盛り込むことが多かった。盛岡消友会(本組)の古い絵紙にもこのような扇の的を添えた与一の山車を描いたものがあり、沼宮内の愛宕組などでも実現例がある。川又では両者がほぼ同じ大きさだが、絵紙でも実物でも一般に玉虫の人形は小さい。

 一戸の本組は大胆に人形を寄せ、飾りの下半分程度を屋島の浦波にした。那須与一は、海を見せる演題でもあるのかもしれない。





文責・写真:山屋 賢一

(ホームページ公開写真)

中組(石鳥谷祭)   な組(盛岡祭)   川若組(大迫祭)




『扇の的』一戸町橋中組平成14年
山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
射る前 石鳥谷中組
一戸本組(本項3枚目)
志和町山車(本項2枚目)
石鳥谷中組(手拭)
弓絞り 一戸橋中組
盛岡な組
一戸橋中組・日詰下組(本項1枚目)

盛岡本組
一戸上町組@
一戸上町組A
沼宮内ろ組
盛岡な組(乃邑)
志和町山車(手拭)
小鳥谷に組

テレビ岩手

盛岡め組
盛岡本組
一戸上町組
玉虫伴 二戸川又
沼宮内愛宕組
盛岡消友会
射た後 盛岡め組
一戸本組
一戸橋中組・一戸本組(富沢)
弓無し 石鳥谷上若連
扇の的 一戸橋中組(本項4枚目)
石鳥谷中組
一戸本組
志和町山車
日詰下組

沼宮内愛宕組
石鳥谷上若連
※5枚目:青森県おいらせ町下田の山車/ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

那須与一が 誉れの一と矢 扇射とめし 物語り
波間しづかに 宗高
(むねたか)が 八嶋(やしま)の浦に 花と咲く
平家のさだめ 扇にかけて 小船乗り出す 屋島沖
平家軍船
(ぐんせん) 扇の的に 与一宗隆(むねたか) 弓冴える
弓は満月 矢は一の字に 南無哉八幡 大菩薩
波間隔てて 馬上の与一 屋島の浦に 花と咲く
(つる)を放れし 鏑矢(かぶらや)は とぶや屋嶋の 花と咲く
磯打つ波に 鏑の矢音
(やおと) 扇の的は 花と散る
那須与一に 錦
(にしき)の扇 射るや源氏の 勝ち軍(いくさ)
船に朝日の 扇の的に 弓は滋藤(しげとう) 矢は与一
的は玉虫 恋路にかけて 弓は与一の 鳴り鏑
(なり かぶら)
屋島の浦に 日輪(にちりん)映えて 扇に残す 矢の誉れ
屋島に馨る
(かおる) 源平絵巻 的の扇は 浪と散る



青森県おいらせ町下田


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