盛岡山車の演題【風流 森蘭丸】
森蘭丸(本能寺の変)
天下統一まであと一歩のところまで来た織田信長は、「本能寺の変」で失意の最期を迎える。油断大敵の教訓は後々まで語り継がれた。
備中高松に出陣したはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」と馬首を返し、1万5千の兵で主の寝床を取り囲む。日頃重ねた恨みを謀反で返そうとする光秀一世一代の策略、信長近習の小姓たちは明け方の一大事に大わらわで、寝巻き姿に襷をかけて懸命に主を守って戦った。中でも森蘭丸の活躍は素晴らしく、長柄の槍を脇に抱えて優男の風貌に似合わぬ武勇で明智の雑兵を次々に突き殺す。
信長の首を挙げようと意気込む明智の猛将安田作兵衛、蘭丸と欄干をはさんで激戦を繰り広げる様こそ盛岡山車の「本能寺」である。花の若武者の散り行くさまに風流山車の儚さを重ね、そこに一抹の美を見出す。
盆の上に仕立てた欄干が舞台に高低のリズムを作り、凛とした若武者の蘭丸はさわやかに・下の武者はきらびやかに…と、ここでもリズムを作る。目線を両者でしっかり通し、組み方の見せ所「三本通し」の難関も見事にクリアーすれば、なんとも格好の良い山車となる。
盛岡の一番組・同じく二番組が長年得意としてきた飾り物で、周辺域にも伝播して一戸・沼宮内などで秀作が見られた。
(音頭)
叛乱明智の 先鋒迎え 槍で射止めし 森蘭丸
燃ゆる焔に 欄高く 名乗り上げては しごく槍
時は天正 十一年の六月 恨みは深き 本能寺
若き鬼神の 蘭丸 天正事変の 花と散る
毛利家に軍師として仕えていた安国寺恵稽(あんこくじ えけい)は、安土に天守閣を築いて日の出の勢いの織田信長を指して「いずれ高転びに遭われるだろう」と不吉な予言を口にした。果たして1年も経たぬうちに、信長は裏切るはずのない家臣の裏切りで失意の最期を迎える。天才ではあったが、対人スキルが著しく貧しかった信長は、優秀な家臣の明智光秀(あけち みつひで)に畏怖されて天下取りのチャンスを逃してしまった。天正11年6月2日早暁、中国攻めを引き返した浅葱色の桔梗の旗に囲まれて、本能寺は忽ち戦火の巷となる。信長を守る小姓はせいぜい100名、明智の軍勢は1万5千、勝ち目の無いところを最後まで戦い抜いた小姓たちの心意気が忠義の鑑と後世まで称えられた。中でも小姓の森蘭丸(もり らんまる)は長柄の槍を脇に抱え、優男の風貌に似合わぬ武勇で明智の雑兵を次々に突き殺す。信長の首を挙げようと意気込む明智の猛将安田作兵衛(やすだ さくべえ)は、蘭丸と欄干をはさんで激戦を繰り広げるが、やっとのことで蘭丸を討ち取ったとき、寺はすっかり焼けて信長の姿はどこにも無かった。信長の首は遂に上がらなかったが、クーデターに成功した光秀は秀吉が中国大返しで畿内に引き返すまでの十数日間、三日天下のはかない夢に酔うのである。
『川中島』『加藤清正』と並んで戦国武者の数少ない定番演題である。「国史画帖大和桜」に題を求めた為に信長よりも蘭丸にスポットが当たり、華やかで美しい構図となった。舞台づくりは、まず盆の上に欄干を作って背景に禅寺特有の蓮のような形の障子(花頭窓)を作る。蘭丸は若武者をあらわす独特の髪型で凛とした雰囲気、盛岡観光協会の作品は白地に空色の染めの入った寝巻き姿で爽やかな印象に仕上げた。最近の作品では、寝巻き姿よりもう少し実戦向きの着物姿とする例が多いようである。蘭丸と欄干の下の武者人形に高低差を設け、目線をきっちり通せば躍動感が出る。場面全体を長柄の槍が見事に二分しているが、これは一本の槍で2体の人形をつなぐ大変難しい組み方で、「三本通し」という。『森蘭丸』では蘭丸の2本の手と作兵衛の片手の3点を槍で貫く。蘭丸が身を乗り出す足場となる擬宝珠付きの欄干は、朱塗りにすれば華やかに、白木のままで使えば全体に淡い色調の山車に仕上がる。
明治の背の高い山車の時代から、森蘭丸は高低差を絶妙に生かす演題として珍重されてきた。信長にとっては不吉極まりない場面だが、秀吉を主人公とする「太閤記」の視点でいえば、むしろ好転機の縁起の良い場面である。蘭丸の忠義と、若くして散り行く戦人の儚さが風流山車の嗜好に見合う。
一戸の橋中組は、槍を繰り出す人形を蘭丸から寝巻き姿の信長に置き換えて『本能寺の変』と題を付けた(注:蘭丸の山車であっても『風流 本能寺』と題がついた作品は若干見られる)。また二戸市内に限っての話だが、三日天下の夢破れ山崎の戦で秀吉に負け、逃亡中小栗須村の竹薮で落ち武者狩りに遭い、百姓の竹槍の餌食となって絶命する『明智光秀』が山車に上がったこともある。油断大敵、因果応報…、一連の本能寺の演題には先人が山車に込めた数々の教訓を見て取れるような気もする。
(他地域の本能寺の山車)
本能寺の変は日本史上有数の劇的な場面であり、歴史物語を題材とする人形山車祭りには欠かせないエピソードのひとつである。筆者が見ているだけで、岩手なら花巻・二戸、青森で三戸・八戸・青森・弘前・黒石・木造、秋田の土崎、宮城の栗駒、山形の新庄…と東北六県ほぼ全域で製作されている。ただしこの中で、信長を伴わず蘭丸を主体として描いている作品は非常に少ない。必ず寝巻き姿の信長と、燃え盛る炎とによって殺伐と表現されるのが本能寺の山車の常である。青森ねぶたでは信長単体を炎の盛りの中に置いて本能寺を表現し、秋田では珍しい受け役の蘭丸(★)が山車に描かれた。明智光秀の受難の最期を模す山車人形は秋田県に散見され、筆者は土崎(★)・浅舞で見物している。これも有名な戦国逸話のひとつとして採り上げられたものであろう。
文責・写真:山屋 賢一
(写真提供御礼 は読者様より)
(ホームページ公開写真)
沼宮内 二戸@ 二戸A 青森木造 日詰(信長) 日詰(白藤)
山屋賢一 保管資料一覧
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絵紙 |
| 森蘭丸 |
盛岡観光協会・日詰一番組(本項) 盛岡二番組(本項) 志和町山車 沼宮内愛宕組
秋田県秋田市 |
(カラー写真) 盛岡左官業組合 盛岡一番組 石鳥谷中組 沼宮内新町組 川口み組
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盛岡十三日町
平下信一さんの山車数例
青森県弘前市 |
(現物) 盛岡観光協会(香代子) 盛岡二番組(正雄) 沼宮内新町組 志和町山車
(写真) 富沢茂氏押し絵 盛岡二番組 盛岡一番組 盛岡十三日町 |
| 信長 |
一戸橋中組・日詰下組(本項) 一戸橋中組
花巻市吹張二区(本項) 二戸市福岡在八 宮城県旧栗駒町 山形県新庄市 青森県三戸町 青森県八戸市 青森県黒石市 青森県旧木造町 |
一戸橋中組 |
一戸橋中組 |
| 明智光秀 |
九戸村南田(本項)
秋田県平鹿町 |
二戸市福岡五日町 二戸市福岡川又@A
平下信一さんの山車数例 |
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| 白藤彦七郎 |
盛岡城西組・日詰橋本組 |
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盛岡城西組 |
ご希望の方は sutekinaomaturi@hotmail.co.jpへ
(音頭)
叛乱明智の 先鋒迎え 槍で射止めし 森蘭丸
燃ゆる焔に 欄(おばしま)高く 名乗り上げては しごく槍
時は天正 十一年(ととせ)の六月(ふかば) 恨みは深き 本能寺
若き鬼神の 蘭丸 天正事変の 花と散る
(※明智光秀)
明智光秀 謀反を起こし 己が末路は 竹槍で
※南部流風流山車(盛岡山車)行事全事例へ
天下統一まであと一歩のところで、天才織田信長は「高転び」に遭ってしまう。裏切るはずのない家臣の裏切りで失意の最期を迎えるのである。1582年6月2日早暁、突如として京都本能寺を囲んだ一万五千の桔梗の旗。明智光秀は主の寝首を掻き、天下を取ろうとした。わずか100名で宿泊していた信長主従、家来たちは寝巻き姿に襷をかけて奮戦し、懸命に主を守った。中でも小姓の森蘭丸(もり らんまる)は長柄の槍を脇に抱え、優男の風貌に似合わぬ武勇で明智の雑兵を次々に突き殺していく。信長の首を挙げようと意気込む明智の猛将安田作兵衛(やすだ さくべえ)は、蘭丸と欄干をはさんで激戦を繰り広げるが、作兵衛がやっとのことで蘭丸を討ち取ったとき、寺の奥から火の手が上がる。信長の首は遂に上がらなかったが、クーデターに成功した光秀は秀吉が中国大返しで畿内に引き返すまでの十数日間、三日天下のはかない夢に酔うのであった。
盛岡山車『森蘭丸』の舞台づくりは、盆の上に欄干を作るところから始まる。背景には禅寺特有の蓮のような形の障子(花頭窓)を作る。蘭丸は若武者をあらわす独特の髪型で凛とした雰囲気を醸し、寝巻き姿は裸人形の技法で躍動的に表現する。蘭丸と欄干の下の武者人形に明確な高低差を設け、目線をきっちり通して動きのある構図とする。場面全体を見事に二分する長柄の槍。盛岡山車には「三本通し」という技法が伝わっているが、これは一本の槍で2体の人形をつなぐという大変難しい組み方であり、『森蘭丸』では蘭丸の2本の手と作兵衛の片手の3点を槍で貫く。身を乗り出す足場となる擬宝珠の付いた欄干は朱塗りにして華やかに、白木のままで使えば全体に淡い色調の山車に仕上がる。
明治の背の高い山車の時代から、蘭丸の山車は高低差を絶妙に生かす演題として珍重されてきた。信長にとってはきわめて不吉な裏切り横死の場面だが、祭りという祝いの場に引き出すに当たって、信長の死を秀吉の好転機と見る「太閤記」の大局が考慮される。
一戸の橋中組は、槍を繰り出す人形を蘭丸から寝巻き姿の信長に置き換え、主題の伝わりやすい本能寺の山車を出した。丁髷姿の殿様が登場するのも、盛岡山車ではこの演題のみである。また後日談として、山崎の合戦で秀吉に敗れ小栗須(おぐるす)の竹薮で落ち武者狩りに遭う光秀の末路を描いた作品が、主に二戸市内に限って製作されている。
文責・写真:山屋 賢一
(写真協力:「沼宮内新町組平成3年」久保榮司氏・「一戸町橋中組昭和61年」中島大祐氏)
(音頭)
叛乱明智の 先鋒迎え 槍で射止めし 森蘭丸
燃ゆる焔に 欄(おばしま)高く 名乗り上げては しごく槍
時は天正 十一年(ととせ)の六月(ふかば) 恨みは深き 本能寺
若き鬼神の 蘭丸 天正事変の 花と散る
(※本能寺の変 信長)
奇しき(くしき)さだめよ 信長公は 恨み尽きせぬ 本能寺
紅蓮の炎 怨みに燃えて 繰り出す刃 玉と散る
天下を狙う 信長不覚 燃ゆる炎と 共に果つ
安土の栄華 現(うつつ)ぞ夢ぞ 恨み尽きせぬ 本能寺
墨の黒さか 謀反の影か 妖雲包めり 明智勢
揺れる松明 飛び交う矢音 名乗り上げたる 槍衾(やりぶすま)
溝は幾尺 欄干高し 大事は今ぞ 本能寺
大望空しく 英雄去れど 青史(せいし)に顕き(あかき) 彼(か)の武勇
山車ふりーく食堂
日詰商店街には、秋祭りの山車の写真や絵紙を常時展示し、お客様に公開している店舗がいくつかありますので紹介します。お祭り期間限定で公開しているお店もあります。
(常時展示中)
習町:松竹食堂
平成12年からの日詰一番組の歴代記念写真をパネル展示、自作後のものはスナップ写真・大判の写真も何点か飾っています。平成初期の橋本組(人形師がオリジナルで作っていた時期)の写真もあります。おすすめメニューは「ミニカツ丼とミニラーメン、800円」ほか。
習町:福龍
昭和50年代から平成初期までの一番組記念写真を入り口に展示、なかなか目にできない写真ばかりです。おすすめメニューは「天丼、750円」ほか。
(お祭り期間限定)
習町:ごんぞうホール
一番組山車小屋向かい、平成21年祭典では平成以降の日詰一番組歴代絵紙を解説付きで展示、年によってはスナップ写真の展示もあります。
仲町:遠山カメラ店
昭和38年以降の橋本組の記念写真をほぼ網羅、一部焼き増しを購入できるものもあります。橋本組の祭典事務所、あるいはその隣。