盛岡八幡宮例大祭 平成25年山車写真
〜作品と山車組についての講釈を添えて〜


紀伊国屋文左衛門(の 組) ※演題講釈※


天と海とを白帆に賭けて 紀伊国文左の男意気

海に高らか 白帆を上げて 遠州灘を 江戸目指す
沖に見えるは 紀伊国文左 丸に「紀」の字の 蜜柑船
    



好きな人が作った山車だなあと思う。人形をきっちり正面に据えていないのもいいし、数珠を大胆に使ったのも良い。出ている腕がきちんと見せられる腕であるし、なによりがっしりした人形であるのがいい。


平成5年以来、20年ぶりの登場
 紀伊国屋文左衛門には定例的な型があり、その型が割りとよく出来た型であったから、新発想など思いもよらなかった。今回の山車は「船なのだから碇がなければ」とか「みかん箱は籠のようだった」とか「帆に紋はない」とか、物語から一つ一つ考証を重ねて作った様子が伺える。人形の構えにしても髪にしても、全てにこれぞという説得力がある。表現の楽しさこそ山車作り・山車見の楽しさだと再認識させられた。


紀州からの荒波越えて 蜜柑商人紀伊国屋広いところでは帆を高々と上げて観衆を圧倒。遠目で見たときのわくわく感を久々に味わった




那須与一(な 組) ※演題講釈※


人形の設置法や松・桜が前に飛び出して付いている演出、照明の紫など、独特の楽しい要素が。弓で顔を隠さず、前のめりにして勇みを出した構えもお気に入り

平家軍船 扇の的に 与一宗隆 弓冴える
(見返し)地元に伝わる 大宮神楽 城下祭りに 花を添え



今までの大宮神楽の見返しとはまた違った味わいがある。道具類が活きていて、顔を赤味の指した白面にしたのが効果的


昭和54年以来、平成の盛岡では初登場
 10年くらい見ていない本宮の山車、草創以来馬の出る演し物を好んできた。那須与一は若武者だし、場面もどちらかといえば大人しいのだが、やはり「な組の」与一には荒々しさと勇みがあった。鏑矢の先に敵兵の見えそうな与一である。
 大宮神楽の基本とされる演目、たいていの神楽組では「みかぐら」「鳥舞」というところを、大宮のみ「千代の御神楽」と付題して上演する。神代の昔の岩戸開きを祝い喜ぶ長鳴き鶏の舞であり、「御祈祷に、千代の御神楽舞い遊ぶ、千代に八千代に重ね重ねに」と歌う。


那須与一が誉れの一矢 扇射止めし物語




車引き(盛岡観光協会) ※演題講釈※


梅王・桜力を合わせ 倒す時平に見得を切る

梅の香馨る 吉田の社殿 時平の牛車を 倒すべく
 
(見返し)天下泰平 実りも豊か 祝いて舞うは 三番叟



彩り豊かで着物も豪華、品があって面白い


題目大くくりでは5年ぶり、時平梅王でいえば昭和41年以来!
 観光協会の山車が河北作風に変わって久しい。ここ数年は多彩な演目選びが楽しかったが、今回は「純三番組型」ともいえる色鮮やかで粋な歌舞伎山車が出来た。車引自体は平成20年以来5年ぶりだが、藤原時平と梅王丸の組み人形は平成に入って初、40年程度のブランクを経ての登場となる。
 サンバソウは私が幼いころに一度、山車の見返しに出た。以降は専ら、民俗芸能の世界で触れてきた。さまざまな舞台芸能で新春の舞台清めとして上演される祝福芸であり、烏帽子は「剣先」と呼ばれる神聖なもの・手にした鈴は実った稲の穂を表すと聞いたことがある。見せ場の反り返りに入ろうという体勢か。


子供のころに「すごいなあ、きれいだなあ」と思ってみていた盛岡らしい歌舞伎山車で、遠くで見ても配色の美しさ・構図の均整を楽しめる。背景の梅を揺らした工夫も良い。二人形の趣向としては近年最も良く出来た一作ではなかろうか






宇治川先陣(一番組) ※演題講釈※

ともに源氏にその名も高く 手綱も軽く先陣取り

佐々木高綱 先陣取りに 南部の名馬 いけずきと
荒ぶる流れの 宇治川渡り 先陣遂げて 名を高く


近くで見ると見づらいが、豪快に大きく作ったのが良かった。追い越される側の武者が落ち着いていて品があるのが好き



平成14年以来11年ぶり、馬2つは初
 佐々木四郎高綱は、主君源頼朝から賜った名馬池月で宇治川合戦の先陣を飾るべく、同じく糠部の名馬磨墨に騎す梶原源太景季と競う。実は景季には、所望していた池月を高綱に取られた経緯があり、先陣争いは双方にとって宿命の一戦であった。
 一番組は「馬町」の山車組だから、馬にこだわって何度か高綱を山車に出してきた。今回は初の2頭立て、武者の双方にこれまで凝らしてきた様々な試みが反映されている。






矢の根五郎(よ 組) ※演題講釈※

聞くも勇まし矢の根の五郎 富士の裾野に名を残す

武勇の勲し 矢の根を磨く 猛き心に 化粧坂
剛勇無双の 勲し高く 矢の根五郎と 語り草




定番の見返しだが、趣向を大幅にリニューアル!背景に祭りの日の町の景観を凝らしたのが粋


昨年も出たが、矢を研ぐ型は平成13年以来
 歌舞伎もの「矢の根五郎」のもっともスタンダードな矢研ぎの型を盛岡山車に取り入れた最初は、おそらく紺屋町よ組である。ゆえによ組ではたびたび矢の根を、この型のみで奉納してきた。
 今回は配色・衣装・面持ちの風格に魅了され、盛岡山車ならではの大人形に安心しつつ、なにより髪の仕上げに驚いた。前髪も車鬢も、きちんと毛を束ねて結ったように作っている。「まだまだこの演し物には突き詰めるところがあるのだぞ」と教え諭された気分。


人形の出来栄えがすばらしく、随所に盛岡らしい豪勢なところがある。大人形であるのも立派でいいのだが、構えにはもう一工夫ほしい




加藤清正虎退治(三番組) 演題紹介

槍を片手で使うと勇みが出るのだなと思った。細部まできっちり作ってあるのだが、うーん、小さいなあ。遠くから迫ってくるのを見ると、盛岡の山車でないような感じが否めない

鬼の清正 片鎌槍で 遺恨を晴らす 虎退治
(見返し)神が怒りて 上総は見えず 波は逆巻き 牙を剥く




いつもながらの端正な見返し、いまいち身投げの姿に見えないのが惜しい

平成5年以来20年ぶり、見返しは初?
 三番組をはじめ河北組といわれるところの作風は、歌舞伎山車によく合う。武者を出した場合でも、歌舞伎風というか芝居調の艶やかさが、どことなしに漂うのだという。
 清正虎退治という古典に、まず異国情緒が盛られている。虎よりも清正よりも、まず竹林を描こうとしている。そして清正には、関羽のような鐘旭のような「神格化」が為されているように感じた。ゆえに見返しも神を飾り、表裏で竜虎と対峙させたのかと。

刃噛み切る猛虎の牙に 気合い一撃討ち果たす







夜討曽我(い 組) 演題紹介

五郎はさすが門前組の出来栄え、十郎は人間の体つきとして違和感がありすぎる

富士の嵐か 十郎五郎 ねらうは工藤 父の仇
(見返し)灯りを袖に 工藤のやかた 虎の手引きの 夜討曽我


5年に一度は見られる趣向
 といっても盛岡でい組以外がこの構想を手がけたのは、もう50年も前のことである。
 「江戸の歌舞伎は曽我でもつ」ともいわれた芝居小屋最盛の時代、曽我兄弟に絡む演し物が正月から数々舞台にかかったが、ただ一幕「夜討ち曽我」だけは日を特別に限り、締めくくりの演目として大事に使われていた。兄弟が本懐を遂げる唯一無二の演し物だからである。古来「夜討ち曽我」が上演されるのは5月28日、曽我の仇討ちが成った日であった。



畠山重忠(わ 組) 演題紹介

断崖絶壁三日月躊躇 かつぐ重忠奮い立ち

秩父の若武者 重忠勇姿 源氏の先陣 一の谷
手綱腹帯 愛馬に絡め 背負いしずしず 逆落とし



さんささんさと歓喜の踊り 土淵伝承郷の舞

昭和59年以来、平成初登場
 「騎下の武者」という奇想天外な構図が魅力の演し物で、盛岡では昭和晩期以来の登場となる珍しい演目である。山車人形が着る鎧兜については、史実に忠実に作るか山車なりの華やかさを出すかで議論が分かれるが、今回は史実に近い赤糸縅を美しく見せている。


背景をモノトーンにして鎧の美しさを際立たせたのは素晴らしい。馬の鬣のボリューム・手綱の跳ねた感じも良いのだが、うーん、人形がダメだ



助六(さ 組) ※演題講釈※

雨除けを賭けても主要要素が隠れないのは良かったが、要するに主要要素が痩せすぎ。桜の色に工夫が見られた

志めた鉢巻 江戸紫は 揚巻自慢の 男ぶり
(見返し)帯の七夕 助六さんへ 夢よ叶えと 天の川


平成18年以来6年ぶり、傘上げの型は12年ぶり
 助六はなかなか難しい演し物だから、5年に1度くらい見られればいいほうである。今年は団十郎逝去のこともあってか各地で助六の山車が出ていて、改めてこの演題の難しさを感じている。何より、粋な感じを出すのがなかなか大変だ。
 助六の音頭に揚巻が、揚巻の音頭に助六が読み込まれている。

衣装が全然綺麗じゃないし、顔の幼さが際立ってしまった


 

 

文責・写真:山屋 賢一(見物日:平成25年9月14・15・16日)



※歴代演題

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