盛岡八幡宮例大祭2012
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昨年同様の「盛岡らしくなさ」を感じたのだが、今年の場合はあまり良い意味ではない。地方で試行錯誤の末に何とか作り上げた第一作、のような山車が多かった。
中できらりと光ったのが、上段の2つ。
(何度も使われている見返しについては、このページには掲載しません)
見るも勇まし 歌舞伎の花よ 磐石太郎が 福を呼ぶ
(見返し)神子田ゆかりの 荷姫様が 八幡祭りに 花添えて
鯰絵(地震を起こす鯰を皆で鎮める絵)をモチーフにした鯰退治の山車は、たしか中越地震の年に青森ねぶたに出て、それから八戸・花巻・大迫・大巻・五所川原…と広域で取り入れられてきたはずである。いずれも「鹿島明神の鯰退治」というスタイルでの製作であったが、盛岡山車に取り上げるにあたって暫という盛岡らしい・かつ華やかな要素を伴い昇華した形で構想されたのは大変嬉しい。さ組初の「ゲテモノ」であり、パレードでは仕掛けでなく引き回し方で鯰の暴れっぷりを表現するという楽しい趣向も見られた。
この趣向を昨年ではなく、震災の翌年に当たる今年に取り上げたという意義も実に大きい。
一路急がん 関羽の忠義 敵将葬り 駆け抜ける
(見返し)技を身に付け 変幻自在 斉天大聖 孫悟空
三国志の関羽の山車は、盛岡流では平成に入って新たに取り組まれた歴史の浅いものであるが、なぜ関羽なのか。「馬を作るなら、三国一の名馬を作りたい」との作り手の心意気ゆえではあるまいか。製作の度に新たな解釈が加えられる段階ではあるが、今回は特に馬の存在感に見事さを感じた。見返しは中国趣味で統一。
武家の政治を 世に残したる 清盛の名を とこしなえ
知勇豪傑 冴えたる力 平家清盛 武勇伝
平安時代後期、院政を開始し並ぶ者の無い権勢を誇った白河上皇には「天下三不如意」というものがあった。鴨川の水(洪水)・賽の目(賭博の流行)・山法師である。中でも山法師というのがくせ者で、比叡山から神輿を担いで京の町に降りてきては無理難題をふっかける延暦寺の僧兵たちである。神の象徴をタテに要求されるため、さすがの上皇もこれを退けられない。
平清盛は御所を守る北面の武士、神罰を恐れず僧兵の一群に弓を引き、神輿を矢で射抜いたという。さすがの山法師も清盛の豪胆に舌を巻き退散し、清盛はこの一件で上皇の信頼を得、後に武士の世を築く足がかりとした。
陸奥の豪族 安倍氏が館 歴史を偲ぶ 古戦場
(見返し)歌舞伎舞台に 巴の御前 太刀を担いだ 女形
や組の「や」の字は館の「や」で、館は安倍氏の館「厨川柵」。厨川次郎安倍貞任は、中央の不当な支配に実に12年にわたって抗った「北東北のハンニバル」であり、その勇姿はもっともっと、盛岡地方の祭りの場に上がるべきである。
見返しの女暫は、荒事歌舞伎の暫を主人公だけ女形に替えて上演する趣向であり、主人公は勇婦として知られる巴御前である。大太刀を両手に構えたり、この山車のように元禄見得を切ったり…勇ましさと麗しさが融合した艶やかな舞台である。
…ここまで2台見てみて、盛岡山車に武者演題を新作する力は無いな…と思う。
江戸は元禄 舞台は五郎 大矢抱えて 見得を切る
歌舞伎十八番の 矢の根を飾り 二本筋隈 車鬢
矢の根五郎は盛岡で作り尽くされてきた演題ではあるが、の組にとっては、ヘビーローテーションを破って取り組んだ野心作である。それは演題の決め方にとどまらず、飾り方までも「普通の」盛岡山車へと回帰するという、一山車ファンにとって非常に嬉しい革新であった。
舞うは弥生か 手にした獅子か 蝶に戯れ 狂い舞い
獅子の思いを かわして遊ぶ からわの髷の 稚児の蝶
鏡獅子は弥生が本獅子に「乗る」のではなく「なる」物語で、胡蝶は小姓弥生とは別、弥生が獅子になったので牡丹が咲き蝶が舞い飛び、その中に獅子が現れる。表裏一体の趣向。
恵比寿大黒 弁財天と 福を招いて 祝う秋
(見返し)桜花咲く 上野の山に 派手ないでたち 槍踊り
二番組はもともと「ゑ組」を名乗っていたが、この「ゑ」は恵比寿様のゑの字を採って付けられたのだという。現在は花巻や二戸などで七福神の山車が出てくるが、盛岡では平成以来、二番組しかこのテのものを出していない。沿岸被災地が早く復興して大漁になるように…と願いを込めた祝い山車である。
私が子供のころに見た「花見踊り」はかなり簡単な仕立てであったので、今回本式の花見踊りを見て驚き、感動し、少々悔しくなった(笑)。
国の乱れに 楠木親子 帝守りて 名を残す
(見返し)花の吉原 鳥かご担い 神の託宣 放生会
新作としては実に21年ぶりの南大通の山車、伝統的な演題に古風な飾り方で取り組んだ。他の山車に比べると表はやや小ぶりに、おとなしく作ってある。
…新作でなければ復刻した構図で…というのも、この山車を見るとやや厳しい気が。武者をやる力が、今年の盛岡にはほぼ無かった。
解脱憧想 北斗の柄に 夢期す景清 時を見る
(見返し)笠に込めたる 切なき悲恋 綴りて舞まう 白拍子
城西組としては3度目となる景清もので、平成9年にさ組が構想した釣鐘を立てて上に乗る構図に挑戦。解脱成就を表現した黒に北斗の星柄は陰陽の陰をあらわし、景清の正義が単純な正義でないことを匂わせている。鐘を下まで乗せないので鱗紋の着物を掛けて大部分を隠し、背景まで着物の裾を持ち上げた。広いところでは裾がさらに上に上がる仕掛けである。
…山車には祝いの意図が無ければならず、歌舞伎の場合それを華やかさ・色鮮やかさが担っているのだと思う。故に、華やかさを消す方向に歌舞伎を凝ってはならない、というのが私の見解。
被写体
撮影場所・時間
さ組山車
14日朝、ホットライン肴町
14日八幡下り後、直利庵
14日夜、八幡宮奉祝社参
観光協会山車
15日昼、材木町
14日夕方、盛岡バスセンター付近
15日夜、小屋納め直前
は組山車
14日、八幡下り
15日夕方、パレード前待機(盛岡城址公園)
14日朝、八幡宮前集合時
や組山車
14日、八幡下り
15日、パレード出発直前
14日朝、紺屋町門付け時
の組山車
14日昼、南大通門付け
14日午前、八幡下り待機時
い組山車
14日夕方、奉祝社参待機(ホットライン肴町)
14日朝、八幡町(八幡下り集合)
二番組山車
15日朝、本町通門付け
14日朝、紺屋町門付け
14日朝、八幡下り参集時
南大通山車
15日夕方、パレード待機
15日朝、馬町門付け
城西組山車
15日、パレード参集時(下の橋通り)