盛岡八幡宮例大祭盛岡秋まつり2007

 



よ組【日本銀次/手古舞】
★管理人撰 盛岡一番★
顔の抜群に良い人形および小道具を盛岡山車本来の「足さず引かず」飾りで彩った感涙の名作。

世にも名高き よ組の纏 かざす銀次の 勇み肌
天下御免で 日本と名乗る 火消し銀次の 身の誉れ

※演題解説※


 日本銀次、火消しの花の纏取り。藩政以来の紺屋町第五分団町火消し、此れも又た城下町盛岡の花である。しるしの「田」の字が白く輝き堂々と鎮座する山車は昔ながらの盛岡流派、此の形が城下を越えて広く南北に伝播し絢爛たる山車文化を開花させたことを思えば、改めて感涙を禁じえない。平成5年当組奉納以来なので、14年ぶりの登場。

盛岡山車ならではの表情をじっくりと
江戸で名高いよ組の纏 振って銀次の晴れ姿

 よ組:第5分団。紺屋町を本拠とする藩政期以来の火消し組。「矢の根」、「鏡獅子」など現在定番化された歌舞伎一体演題を創設したほか、田の字纏をかざす「日本銀次」も名物演題。飾り方は盛岡古来のもので、牡丹を表裏の境で色分けするのが特徴。音頭の合いの手に独特の趣向がある。よ組とは別に、「紺屋町丁印」として小さな人形を乗せた屋根付きの山車を運行した年もある。






一番組【敦盛最期/花咲爺】
大きくないものを大きく見せる工夫に満足、甲冑・幌・馬・構図作りなど秀逸。

花のつぼみの 敦盛討って 直実苦境に 出る涙
千軍万馬の 直実公や 情けもののふ 一ノ谷


 天才義経の神がかりの奇襲戦法によって一の谷の砦を追われた平家一門、時に齢十六の無官太夫敦盛は陣屋に愛用の笛を忘れ、「恐れをなして平家の宝物 青葉の笛を置いて逃げたとあっては一門の恥」と一人逃亡の船を下り、騎馬にて陣屋にとって返し笛を持ち帰った。漸う船に追いつかんかというとき、遠く浜辺に栗毛の大馬にまたがる坂東武者、「臆病者よ、戻れもどれ」と黒扇を振りかざすのを見た。戻らねばよいものを、敦盛は取って返して坂東武者と組討の末、首を討たれる。討ったのは熊谷次郎直実、組み乱れて抜け落ちた兜の下の童顔に切っ先をとどめて躊躇うが、これも武門のならい、哭いて馬蜀を斬らんかと大太刀を振り上げるもなかなか振り下ろせず、これを見た上司平山の叱責により泣く泣く首を落としたのであった。剛勇無双の直実すら此の一件の呵責に苦しみ、やがて世を捨てるに至ったのである。同じところに住まうもの同士があい争うとはなんと浅はかで、愚かなことであろう。平成4年仙北町は組奉納以来15年ぶりの登場。

遠望したときにも面白い姿を見せる
定番の見返しだが、改善を繰り返してはいる

 一番組:第3分団、肴町の旧馬町が本拠。藩政期の御用火消し組で山車奉納の歴史も古く、番屋付近には人形を塗り直す仏具屋、桜や牡丹を作る造花屋など山車に絡んだ商店が並ぶ。武者1体ものを得意とし、「四条畷」、「碇知盛」、「朝比奈三郎」が定番。特注の頭を使う「釣鐘弁慶」や「巴御前」も製作のたびに話題を呼ぶ。見返しは昔話の「花咲爺」。かつて、「元寇」「新田義貞」「松前鉄之助」などの作品で、人形のせり上げを導入したことがあった。現在盛岡市近郊の町村に見られる山車組は、一番組の影響下で成立したものが多い。






わ組【鐘入解脱衣/七つ笠】
穴の無い山車、大釣鐘の構想および実現には工夫のあとがありありと…(涙)

解脱懇願 放埓封じ 景清引き摺る 大鐘よ
舞の姿に 想いをうつし 色香漂う 白拍子

※演題解説※


 景清は、壇ノ浦で滅びた平家一門の只一人の生き残りである。彼は敢えて生き恥をさらしながら源氏の棟梁源頼朝の暗殺を狙い、もって平家再興を画策していた。実に37度、さまざまな策略を凝らして頼朝を襲うが宿願果たせず、38度目となる最後の襲撃は鎌倉の或る古寺で、大釣鐘の中に忍び込んで白刃を銜え、頼朝を待ち受ける。異様な殺気を感じた御家人の畠山重忠は、景清が潜んだ釣鐘に向けて一枚の小袖をかざす。小袖の紋所を見た景清が俄かに青ざめたとき、「小松内府重盛公のご息女、出家されたり」重忠高々と釣鐘に呼びかけた。なんということだ、平家再興の只ひとつの望みが絶えたとは。清盛嫡子重盛の娘が婿を取れぬとあらば、もはや平家も此れまで。泣きじゃくる景清が釣鐘から落ちてくる。頼朝の足下に這い蹲って両目の目玉を刳り貫き、両手に差し出して今後一切手向かいせぬと誓った。執念怨嗟すべてから逃れ解脱の仏と成った景清、平家一門、ここに真に滅亡せり。平成17年にさ組から出たので、2年ぶりの登場。

平成17年時より大振りに組んだ


 わ組:第11分団、上厨川前潟町からの奉納組。14日以降市内に出る日は午前5時から山車を動かす。城西組とかかわりが深く、山車製作に当たって多分にその助力を受けているため、演題や飾り方は城西組とほぼ同じである。






の組【石踏みの五郎/藤娘】
曽我の五郎が仇討つ為に 病の足で石を踏む

今に伝わる 五郎の踏み石 足の病と 祀られる
花は牡丹か 揚羽の蝶か 五郎石踏み 見得を切る

※盛岡山車の曽我もの※


 盛岡山車の演題については曽我兄弟が引っ張りだこで、今年もの組以外に何件か出ている。矢の根五郎、雨の五郎、草摺引きなどなど枚挙に暇が無い曽我五郎の艶姿、今回創立14年目にして同好会の組は盛岡山車に新風を巻き込んだ。足が治った五郎の踏み石、足型の残るその石を無病息災の守り神として祀る盛岡山車新作演題である。

大振りの組み方は盛岡一、巻物の細工にもひと工夫。

 の組:平成6年より山車奉納を行っている同好会。本拠は中ノ橋通(一時加賀野)。草創期は業者発注と思われる人形だったが、平成9年ごろから自前で製作するようになった。大量の牡丹、朱塗りの大八車、2種類の藤、2通りの染め方をした桜を同じ軸に交互に飾るなど、独自の路線を確立している。昼夜問わず照明全開で運行する。表の人形は「四つ車大八」、「暫」、「碁盤忠信」、「狐忠信」、「雨の五郎」、見返しは「わんこ娘」、「藤娘」に限る傾向がある。






盛岡観光協会【矢の根五郎/羽根の禿】
躍動感一番、丁寧な作り。大道具と手にした矢の動きの連動感に工夫の跡。

父の無念を 矢の根に隠し 曽我の五郎の 勇ましさ
梅は匂いぞ 桜は花よ 江戸の廓の 春景色

※演題解説※


 矢の根五郎は盛岡山車歌舞伎演題の定番であり、曽我のあだ討ちを題に採った歌舞伎の中でダントツのきらびやかな演出で知られている。音頭には、場面が正月の朝であることから「江戸の初春」、五郎の装束から「二本筋隈車鬢」「黒に揚羽」「仁王襷」など言葉が選り抜かれている。平成17年に城西組が出したので、2年ぶりの登場。見返しも正月つながり。

なんだかスポーティー
集合すると目立つ躍動感

 盛岡観光協会:平成15年より盛岡観光コンベンション協会と名乗る。盛岡市の出資による山車で、八幡宮境内に山車記念館が作られた昭和53年以来毎年山車を製作、運行している。曳き子の多くは公募で集められ、無料(?に近い金額?)で参加できる。平成8年までは二番組系統の作風であったが、近年は城西・三番組系統の歌舞伎演題が主流。祭礼終了後は葛巻町、北上市、西根町、安代町、紫波町に人形を貸し出すほか、各種イベントにもたびたび派遣されている。




と組【真田幸村/林檎娘】
八幡下り・大通りパレードのみで見せた姿

知将幸村 秘策を明かす 狙うは家康 首ひとつ
秋の実りは たわわに付けた 中野林檎の 蜜の味

※演題解説※


 1603年に江戸幕府開府、後世の私たちはこの瞬間から磐石なる徳川政権が樹立されたと考えがちであるが、当時の感覚では「まだどうなるかわからないぞ」とはなはだ不安な状況であった。というのも、先の天下人豊臣秀吉の遺児が莫大な財宝とともに大坂城に鎮座していたからであり、大阪に乱があるとなれば一攫千金、チャンスを逃して野に下った戦国の猛将たちは再び返り咲く日を夢に見た。実に12年近くも手をこまねいていた家康、ついに大坂城を間違いなく落とせる因子が揃って行動に出た。しかしなかなか一筋縄ではいかない。後藤又兵衛が、木村重成が、そして真田幸村が、その目を希望に輝かせながら味方の何倍という敵軍をなぎ倒し、家康の本陣に迫ってくる。盛岡八幡宮初奉納演題、幸村の、そして荒城に散ったあまたの勇者たちの夢を乗せて…。

門付け時はこんな感じ、馬にも愛嬌がある。
15日午後3時過ぎ、中津川河畔に山車がズラリ!!

 と組:第13分団。中野地区からおよそ3年に1回繰り出される山車で、武者ものを得意とする。定番のものではない珍しい演題を好み、「藤吉郎初陣」や「源頼朝」を新作、すでに定型のあった「村上義光」「新田義貞」も新解釈で作った。見返しは「りんご娘」が定番であったが、近年は招き猫など張子作りの縁起物を飾るようになった。ふちを染めた片側桜など盛岡山車本来の形をよく伝え、夜間は松に色とりどりの豆電球を灯す。






か組【鏡獅子の跳躍/お小姓弥生】
獅子毛の量感に工夫の跡。髪がよく見えるように、あえて横向きで。

花の香りか 情けの露か 舞うは弥生の 獅子頭
跳ねて乱れる 獅子毛を立てて 狂う勇みの 鏡獅子

※演題解説※


 歌舞伎の鏡獅子は江戸城大奥の物語。お正月の宴会もそろそろ終焉かという鏡開きの日、恥ずかしがり屋のお小姓弥生が将軍直々のお申し付けで踊りを踊る。採物は扇・白衣・彼の名匠の手になる獅子頭、弥生が余りに巧みに獅子を振ったので、頭に宿っていた獅子の魂が揺り動いてよみがえり、弥生の体を乗っ取って大暴れ。舞台を跳躍し白毛を中空に乱す荒獅子の雄姿。平成14年八幡町い組奉納以来5年ぶり、演題重複。

見返しの角度にやられたー
獅子頭も上手い、見返しは今年の盛岡一。

 か組:第9分団、新田町からの奉納組。古くから歌舞伎演題に取り組み、「石橋」、「連獅子」、「三条小鍛冶」、「鏡獅子(胡蝶を伴う2体もの)」など獅子の演題を得意としている。前九年合戦の英雄「安倍貞任」にこだわって演題選定をした期間もあった。見返しは「道成寺」をはじめ舞踊ものが多く、背景を精緻に描く。桜は芯を染めたものと花びらを染めたものを併用し、立ち岩の両側に飾る。照明に有色蛍光灯を使うのは盛岡市内では珍しい。人形、装飾ともに業者発注を一切行わずに自前で作るという。






い組【鏡獅子/胡蝶の精】
定例的だが顔塗り、体勢作りには唸らせるものがある。

匠のつくる 子獅子の頭 魂移り 乱れ舞う
獅子の想いを ひらりと交わす からわの髷の 稚児の蝶

※演題解説※


 盛岡山車の手本である八幡町い組の演題は、得意の歌舞伎一体で勇壮に。青の裃に若竹色の着物は八幡町ならではの彩である。5年ぶり、重複演題。

花の香りか情けの露か 胸に鞨鼓の音になく

 い組:第4分団、盛岡八幡宮の門前町である八幡町を拠点とする山車組。八幡宮例大祭には毎年山車を奉納する慣例があり、盛岡山車の手本とも云われている。14日の八幡下りでは決まってすべての山車の先頭を運行する。天井に山盛りの松を繁茂させるのが特徴、牡丹は小ぶりで、大粒の水玉をつけたしぶきを花の間に散らす。夜間照明は白色球を用い、松には紅白の豆電球を灯す。昭和50年代までは年毎に工夫を凝らしてさまざまな演題に取り組んでいたが、近年は「雨の五郎/かむろ」、「暫/鏡獅子」、「碁盤忠信/吉野山の静」、「鏡獅子/胡蝶の精」、「夜討ち曽我/大磯の虎」の5演題を繰り返し製作するのみで、新たな趣向が盛り込まれなくなった。






さ組【曽我の対面/娘七種静乃舞】
勇み逸りし五郎を留めて 富士の狩場に夢馳せる

尋ね当てたる 不倶戴天に いま吹き戻すか 天つ風
花に狂おい 綺羅めく姿 胡蝶のこころを 誰が知る

※演題解説※


 工藤祐経は憎むべき敵といっても、そこは漢である。給仕に化けて面相をうかがいに来た曽我兄弟を見破り、「正々堂々勝負に来られよ」と富士の巻き狩りの通行手形を渡す。この手形が無ければ、兄弟は裾野に踏み込むことすら叶わない。曽我の対面は祝いものの形式舞踊というイメージが濃いが、内容をたどればこのように敵側の美徳をたたえもする奥深さがある。京都の伏見には天保改革下の団十郎市中追放の名残を伝える郷土玩具「成田屋人形」があるが、この中の対面の人形もやはり、引き出物ではなく切手を手にした姿となっている。絵紙では切手を、実物は五郎が工藤に受けた杯を打ち壊して怒りをあらわにする様子を描いた。盛岡では平成8年厨川や組奉納以来11年ぶりに登場。

せくな逸るな時節を待てと 娘七草静の舞

 さ組:盛山会。平成元年より毎年山車を奉納している同好会。演題はい組系統の一体歌舞伎とそれを拡張した趣向で、「碁盤忠信」、「暫」、「釣鐘景清」、「矢の根」が重ねて作られている。平成9年から盆板を高くして人形を上方に配す独特の飾り方を定着させた。北は滝沢、南は黒川まで山車を持ち込み、ファン獲得に努めている。





※正式な演題名はこちら


展示写真の撮影地点一覧(平成19年9月15日)
被写体 撮影場所・時間
日本銀次@B 大通り商店街 大絵巻パレード
日本銀次A 岩手公園 パレード待機時
敦盛最期@ 中津川原 パレード集合
敦盛最期A 大通り商店街門付け運行
花咲爺 大通り商店街 大絵巻パレード
鐘入解脱衣 肴町方面から早太鼓で岩手公園へ
七つ笠 同上
石踏みの五郎@ 大通り商店街 大絵巻パレード
石踏みの五郎A 大通り商店街門付け運行
矢の根五郎@ パレード後、七十七銀行前
羽根の禿 大通り商店街 大絵巻パレード
矢の根五郎A 岩手公園 パレード待機時
真田幸村@ 大通り商店街 大絵巻パレード
真田幸村A 中津川原 パレード集合
林檎娘 中津川原 パレード集合
鏡獅子の跳躍 大通り商店街門付け運行
お小姓弥生@ 菜園通り門付け運行
お小姓弥生A 同上
鏡獅子 大通り商店街門付け運行
胡蝶の精 大通り入り
曽我の対面 大通り商店街門付け運行
娘七種静乃舞 大通り商店街 大絵巻パレード





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