奉納盛岡八幡宮祭典山車
平成十八年  九月

 





 

油町二番組【早川鮎之介】
今回の盛岡の山車の中では一番面白く、技巧の香る素晴らしい出来栄え。全体の色彩の淡さと、なにより上下の水の表現の素晴らしさ、物語の説得力に不可欠な躍動感、早川鮎之介が山車人形として出しうる見所のすべてがこの山車の盆の上に現れたことに、山車好きとしてたまらない喜びを感じる。

安芸の国より 義久救い 殊勲を残すや 鮎之介
武勇早川 その名も高く 尼子再興 十勇士


※演題解説※


 歴史好きに早川について聞いてもあまりよくわからないが、山車好きであればほとんどの人は早川を知っている。盛岡山車の代表的な演題を考えたとき、早川鮎之介ほど身内にはよく知られ、外の世界でほとんど知られない人物も珍しい。いったいどのような要因が鮎之介を「定番」たらしめたのだろうか。
 歴史好きの友人には「山中鹿之助が山の中から見つけてきた力持ち」と紹介することにしよう。きっと「ああ、鹿之助がね」と反応するはずだ。簡単な由来を話せば、さる山中に病床の親を気遣い好物の鮎を求める怪力無双の孝子がおり、此れを見出した山中鹿之助が家来として尼子再興の十勇士に加えた。後に孝子は艱難苦行の功にて水練の業に長じ、主家を救ったという物語である。


従来この組が得意としてきた要素ではない「歌舞伎」の色合いをきっちりと出した、意外性の有る秀作。シダレ櫻の使い方が上手く、籠の中では風を含んで宙吊りの小鳥が飛び回っている。







厨川や組【和藤内】
味があって独特な感じで、でも確実に上手い。定番の型をさして目立った見所も設定せずに普通に作っているのに、こんなに面白くて立派なものに仕上がるのはすごい。

明の再興 大望抱き 目指す赤壁 獅子ヶ城
(見返し)紅のみなもと 命に代えて もののふ甘輝の 名を立てる


※演題解説※


 鎖国下の日本にあって、国性爺合戦の見せる中国・台湾のエキゾチシズムはまさに庶民の注目の的であった。海外に開かれた、唯一の窓であった。大坂では、実に2人に1人がこの芝居を見ているというのだから、当時いかに流行したかがうかがえる。はるばる東の海を越えてやってきた弟のため、なんとしても夫に援軍を出してもらいたい、がしかし、それは夫に裏切り者の汚名を着せることにもなる。悩んだ末に錦祥女は、あまりに悲しい決断を下す。


紅の流れを布で表現したのが面白く、顔や衣装の仕上げも大満足。定番の演題に物語性を与えた。






盛岡観光協会【歌舞伎十八番の内 助六】
ただでさえとっつきにくい演題を新解釈で組み替える意欲、意休は爺の顔で衣装が無駄に派手…というとんでもない障害物だが、きちんとクリアーして魅力的な「新」助六に。助六人形は動きがあるし場面にも奥行きをつけた。

源氏の宝刀 友切丸を 捜し求めて 廓前
腰に尺八 見得きる姿 杏葉牡丹の 五つ紋


※演題解説※


 色男が老人を虐待して美人を奪う物語、現代劇として演じられるならば、私はちっとも好きではない。現代的な感覚ではありえなくない一風景だが、はるか江戸期にあっては大変に破天荒で、なんとも小気味いい芝居であった。助六の舞台には江戸っ子の憧れと心意気が凝集されている。朝は魚河岸、昼は歌舞伎座、夜は廓でそれぞれ千両の金が動いたという。「魚」屋に代表されるような粋な若者が、「吉原」で活躍するさまを、「歌舞伎」の舞台に乗せる豪壮さ。筆者は山車の助六は大好きである。


見えない部分までしっかり刺繍を施し、あえて片側を殺してその一端を観客にうかがわせるあたりが粋。







鉈屋町め組【義経の弓流し】
武者ものはいいもんだ、昔ながらの盛岡の山車を見たなあと。すべてがめ組らしく、20数年来の観客にはうれしいノスタルジー。

汐に漂う 弓一と張りに 九郎義経 名を惜しむ
流るる弓に 命を懸けし 今に屋島の 物語り



 九郎義経は命よりもその名を惜しみ、敵兵ひしめく屋島の海へひとり馬を乗り入れる。鉈屋町名物、自慢の演題弓流し 十六年ぶりに盛岡祭りに登場。


白い衣を上手に使ったのと、いかにも身に合わぬ仰々しい立派な太刀をつけたのが面白い。







の組【義経千本桜 狐忠信】
夜の八幡参りの3台では飛びぬけて良い山車で、狐火の仕掛けもバージョンアップ。

狐忠信 胸うつ調べ 初音の鼓 浪の音
再起源氏の 旗なびかせて 主の戦功 よぶ忠臣


※演題解説※


 昭和50年に八幡町い組が山車演題として取り入れ、平成8年にの組が継承、以降得意演題として作って今回が3作目である。歌舞伎「義経千本桜」に登場する佐藤忠信が、実は大和の古狐が化けた偽の忠信であり、静御前の鼓の皮に張られた母の面影を慕って吉野山道行の供をするという物語。途中伏見稲荷で静を護って戦うあたりが佳境だが、この山車は狐の忠義を買った源義経が「げんくろう ぎつね」の名とともに鼓を狐に与えたので、狐が喜びのあまり正体を現し、吉野の山奥へ帰っていく姿である。


代わり映えのしないマネキン見返しだが、初見物層には好評。







さ組【志ばらく】
正月の熊手のようなごちゃごちゃ感がおめでたい。立ち岩が「大入り」なのも面白い。扇子の使い方も洒落ている。

此れぞ志ばらく 歌舞伎の花よ 襷も仁王の 蝶結び
見るも勇まし 名妓のすがた 此れぞ志ばらく 極め付き

※演題解説※


 盛山会は景清に三枡袴を履かせる位だから、相当に暫が好きである。時に「歌舞伎の神」とのたまう。意地の悪い公家やら乱暴な取り巻きやらが善良な庶民をピンチに陥れたとき、「しーばーらーくー」と現れる天下無敵のヒーロー。なにも鎌倉権五郎に限ったことではない。しばらく、が即庶民の味方であり、庶民の救いであった。大入りでにぎわう霜月の歌舞伎座、日本史上のあらゆる英雄豪傑が「しばらく」と一声、庶民の味方の花道に立つ。


「子供が演じている暫」に見える、さ組の暫と期待して見てしまう観客の罪。







八幡町い組【碁盤忠信】
碁盤は大きく揺らしながら掲げ、衣装も彩りよく綺麗

碁盤忠信 荒事活かす 仁王襷に 火焔隈
(見返し)
花の吉野路 静の供は 鼓の音を かげに追い


※演題解説※


 佐藤忠信は奥州平泉より源義経に従い、主従都落ちの折には吉野山にて義経の鎧兜を賜って身代わりとして戦った。歌舞伎「堀川夜討ち」では忠信が赤の着物に仁王襷の荒事装束、顔には火炎の隈取を燃やして北条一派の夜討ちを迎え撃ち、碁盤を片手で軽々差し上げて奮戦する件があるというが、写真等の資料は乏しく、盛岡山車の演題に上がった時だけ見られる貴重な荒事歌舞伎の姿である。


八幡町ならではの旅姿







太田お組【熊谷陣屋】
盛岡では半世紀以上出てこなかった珍しい演題、衣装は真に迫って作っている、お通りは他の組を圧倒するような大人数であった。

熊谷陣屋の 桜の下で 次郎直実 夢を見た
陣屋の桜 我が子のすがた うつす姿を 制札に


 熊谷次郎直実は一の谷の戦で平家の公達敦盛を討ち、世を儚んで出家した。よく知られた平曲の逸話であるが、実はこの裏には、知られざる直実親子の身を切るような真実があった。
 逆さに構えた制札は「親子の逆縁」。歌舞伎のあらゆる見得の中でもっとも豪華絢爛たるものの一つといわれる熊谷陣屋の大見得は、理想的御家人であるがゆえに義理と人情の狭間に苦しみ、主を「建てざるを得ない」直実の、心の底の慟哭をひた隠す。


見返し「は」よくできた






※盛岡八幡宮祭典山車歴代の正式な演題名はこちら

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