※特に但し書きのないものについては、平成十八年盛岡八幡宮例大祭において各組が歌った音頭上げの歌詞を山車写真に添えています。
油町二番組【早川鮎之介】

安芸(あき)に早川 無双の勇士 鮎の流れに 撥ねる音
背なに怒涛の 早瀬を享けて 忍ぶ苦行も 親の為
(音頭:山屋創作)
歴史好きに早川について聞いてもあまりよくわからないが、山車好きであればほとんどの人は早川を知っている。盛岡山車の代表的な演題を考えたとき、早川鮎之介ほど身内にはよく知られ、外の世界でほとんど知られない人物も珍しい。いったいどのような要因が鮎之介を「定番」たらしめたのだろうか。
歴史好きの友人には「山中鹿之助が山の中から見つけてきた力持ち」と紹介することにしよう。きっと「ああ、鹿之助がね」と反応するはずだ。簡単な由来を話せば、さる山中に病床の親を気遣い好物の鮎を求める怪力無双の孝子がおり、此れを見出した山中鹿之助が家来として尼子再興の十勇士に加えた。後に孝子は艱難苦行の功にて水練の業に長じ、主家を救ったという物語である。

厨川や組【和藤内】

明の再興 大望抱き 目指す赤壁 獅子ヶ城
(見返し)紅のみなもと 命に代えて もののふ甘輝の 名を立てる
鎖国下の日本にあって、国性爺合戦の見せる中国・台湾のエキゾチシズムはまさに庶民の注目の的であった。海外に開かれた、唯一の窓であった。大坂では、実に2人に1人がこの芝居を見ているというのだから、当時いかに流行したかがうかがえる。はるばる東の海を越えてやってきた弟のため、なんとしても夫に援軍を出してもらいたい、がしかし、それは夫に裏切り者の汚名を着せることにもなる。悩んだ末に錦祥女は、あまりに悲しい決断を下す。

盛岡観光協会【歌舞伎十八番の内 助六】

伊達の助六 廓のかどで 髭の意休を ひと睨み
(見返し)四方に満ちたる 色香の霞 中に揚巻 匂い立つ
(音頭:山屋創作)
色男が老人を虐待して美人を奪う物語、現代劇として演じられるならば、私はちっとも好きではない。現代的な感覚ではありえなくない一風景だが、はるか江戸期にあっては大変に破天荒で、なんとも小気味いい芝居であった。助六の舞台には江戸っ子の憧れと心意気が凝集されている。朝は魚河岸、昼は歌舞伎座、夜は廓でそれぞれ千両の金が動いたという。「魚」屋に代表されるような粋な若者が、「吉原」で活躍するさまを、「歌舞伎」の舞台に乗せる豪壮さ。筆者は山車の助六は大好きである。

鉈屋町め組【義経の弓流し】

汐に漂う 弓一と張りに 九郎義経 名を惜しむ
流るる弓に 命を懸けし 今に屋島の 物語り
九郎義経は命よりもその名を惜しみ、敵兵ひしめく屋島の海へひとり馬を乗り入れる。鉈屋町名物、自慢の演題弓流し 十六年ぶりに盛岡祭りに登場。

の組【義経千本桜 狐忠信】

大和狐の 忠信なれば 花を形見と 失せにけり
飛ぶ火連なり 別れの灯かり 九郎狐の 暇乞い
(音頭:山屋創作)
昭和50年に八幡町い組が山車演題として取り入れ、平成8年にの組が継承、以降得意演題として作って今回が3作目である。歌舞伎「義経千本桜」に登場する佐藤忠信が、実は大和の古狐が化けた偽の忠信であり、静御前の鼓の皮に張られた母の面影を慕って吉野山道行の供をするという物語。途中伏見稲荷で静を護って戦うあたりが佳境だが、この山車は狐の忠義を買った源義経が「げんくろう ぎつね」の名とともに鼓を狐に与えたので、狐が喜びのあまり正体を現し、吉野の山奥へ帰っていく姿である。

さ組【志ばらく】

神の力を 其の白ら紙に 享けて悪魔を 祓う見得
襲名披露の 門出を飾る 山車はさ組の 心意気
(音頭:山屋創作)
盛山会は景清に三枡袴を履かせる位だから、相当に暫が好きである。時に「歌舞伎の神」とのたまう。意地の悪い公家やら乱暴な取り巻きやらが善良な庶民をピンチに陥れたとき、「しーばーらーくー」と現れる天下無敵のヒーロー。なにも鎌倉権五郎に限ったことではない。しばらく、が即庶民の味方であり、庶民の救いであった。大入りでにぎわう霜月の歌舞伎座、日本史上のあらゆる英雄豪傑が「しばらく」と一声、庶民の味方の花道に立つ。

八幡町い組【碁盤忠信】

碁盤忠信 荒事活かす 仁王襷に 火焔隈
(見返し)花の吉野路 静の供は 鼓の音を かげに追い
佐藤忠信は奥州平泉より源義経に従い、主従都落ちの折には吉野山にて義経の鎧兜を賜って身代わりとして戦った。歌舞伎「堀川夜討ち」では忠信が赤の着物に仁王襷の荒事装束、顔には火炎の隈取を燃やして北条一派の夜討ちを迎え撃ち、碁盤を片手で軽々差し上げて奮戦する件があるというが、写真等の資料は乏しく、盛岡山車の演題に上がった時だけ見られる貴重な荒事歌舞伎の姿である。

太田お組【熊谷陣屋】
双葉軍記は 親子の絆 砕くさだめの 修羅の道(山屋創作)
陣屋の桜 我が子のすがた うつす姿を 制札に
熊谷次郎直実は一の谷の戦で平家の公達敦盛を討ち、世を儚んで出家した。よく知られた平曲の逸話であるが、実はこの裏には、知られざる直実親子の身を切るような真実があった。
逆さに構えた制札は「親子の逆縁」。歌舞伎のあらゆる見得の中でもっとも豪華絢爛たるものの一つといわれる熊谷陣屋の大見得は、理想的御家人であるがゆえに義理と人情の狭間に苦しみ、主を「建てざるを得ない」直実の、心の底の慟哭をひた隠す。

※特に但し書きのないものについては、平成十八年盛岡八幡宮例大祭において各組が歌った音頭上げの歌詞を山車写真に添えています。