青森県三沢市 三沢まつり 平成22年8月22日撮影
 

平成22年 三沢山車祭

 


 平成16年以来、久々に青森県三沢市「三沢まつり」を見物してきました。写真とともに印象を紹介します。

三沢の町は、JR三沢駅からかなりの急勾配を上った高台の上である。駅前の薬師神社は三沢祭りを主催する神社の一つで、正午過ぎに祭事を行い、「雲龍大権現神楽」が獅子舞を、神社下の薬師町山車組が音頭を奉納する。音頭は八戸流で、神社では前半七・七のみを歌った。


薬師神社の神輿は午後1時に出御、登場する15台のうち、駅前に待機していた6台の山車が随行する。写真は雲龍山車組の『一寸法師』。


三沢の山車の引き綱には必ず梶棒がくくってあって、この写真のように二本くくる団体もある。本来の梶の役割は果たさないが、梶棒に入る若者は小太鼓とともにかけ声を担当し、祭典に活気を添える。


上北地域では藤娘や汐汲など歌舞伎舞踊に依拠したような稚児の出で立ちが見られる。これは神輿のお供の汐汲み、藤娘は大きな花房を肩にかけて山車の先頭を歩く。


山車には駅前から出発するグループと、中心街で待っているグループとがある。写真は大通りの山車『知盛の奮戦』で、マックスバリューのある大きな通りに他の8組とともに山車を止め、飾りの披露を行いながら行列到着を待っていた。


上の山車の見返し『狐忠信』、源九郎義経・静御前・源義経の3体。異郷で見る歌舞伎の山車にはなんだか安心感がある。


南町の『天章院篤姫』は人形一つ一つが回転する山車、八戸には無い独自の工夫である。山車が停止すると、八戸ではあまり聞かない停止拍子を叩く。


井伊直政を飾った山車で、運行中に何度かお花御礼の音頭上げをしていた。三沢の音頭は八戸流だが、合いの手は「うおー」のような掛け声系のものであった(笛も入る)。音頭を上げているときは囃子だけ止めて、山車は止めない。


三沢の町でもっとも趣のある、アーケード街での運行。道幅が狭い上に吊り看板(イルミネーション)があって山車を開けず、最小規模で足早に通過してしまうのが残念。写真は八戸山車さながらの鬼もの『紅葉狩』、人形の顔も一つ一つ綺麗に仕上げられていた。平成22年段階では、上手な組と発展途上の組とで二極化が見られる。八戸模倣組と我流組、といえるかもしれない。


上の『紅葉狩』の全開状態。アーケードを出て「道の駅みさわ」にさしかかったあたりで開いた。三沢まつりで全開状態の山車を見るのは結構難しいし、全開状態をどの位置で見るかによって楽しめ方が違う。


午後3時前、三沢市公会堂脇の公園に山車を集めて30分くらい休憩する。この時全開状態を見せる山車もあるが、狭いところに密集して山車を止めるので、閉じたままの所も多い。左が薬師町『浦島太郎』、右が新町『ねぶた祭り』。


山車の上に丸ごと神社を飾る趣向もある。写真は岡三沢の山車の背面で、賽銭箱があり社の中には不動明王が鎮座している。ふるまき山車組では山車全体を不動明王をまつるお堂にし、縁日の紅白提灯を左右に吊っている。これは風流山車ではなく毎年同じ趣向を引く太鼓山車であり、小太鼓は他の3倍、大太鼓も他が1つのところを2つ乗せていた。


山車は午後3時半頃に再スタート、個別に動かず常に隊列を組んで合同で動く。中央一丁目の見返し『美髭公関羽』はなかなかの出来映え。5年くらい前に見たときと比べ、だいぶ製作技術を高めた組が多かった。


最優秀賞の『赤壁の戦い』。中央の人形は言うまでもなく関羽で、馬などに過去の八戸山車の長所が学ばれている。全開状態はついに見られなかったが、これはこれで圧倒的な迫力があり、見事な山車であった。祭典終盤にはむつの田名部祭りに倣い「十五車別れ」を行うという。




文責・写真:山屋 賢一

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