〜矢巾町耳取地区を発祥とする幕系獅子踊りで、もともとは南部の殿様が盛岡に下向する際に従えた魔除けの獅子であったと云われている。さんさ踊りとほとんど同じ囃子、構成(一八の教え踊りなど)で踊られているのが特徴で、太鼓打ちや笛など囃し方は花笠をかぶり、輪に入って一緒に踊る。獅子頭の額の部分には稲荷や竜神など役割によって多様な彫り物が施されており、これをカガミと呼んでいる。獅子頭から体を覆うように釣り下がる幕は、青地に二見が浦の日の出を描いた絵柄で、獅子はこれを左右に振るいながら蟹股で前進する。獅子を囲む踊り手(中踊り、踊りっこなどと云う)には筅、唐団扇、扇子などがあり、これは同地域に伝承する大念仏踊りと共通している。
宮手鹿踊(
確認日時:
特記事項:八幡太郎義家が蝦夷との戦に苦戦を強いられているとき、野鹿の導きによって勝利を得た事から、勝利の宴に鹿に感謝する意味で兵士たちに鹿踊りをさせた。竜頭の獅子では近年最も子供の担うところが多い組である。一番最初に見たときは、太鼓が踊りだしにすごく気持ち悪い乗り方をしていたのが印象に残った。これは教え太鼓を強める(「しめる」という)ときに太鼓だけが輪の外を向いて合図をするというもので、上半身をゆらして踊りの予備動作にはいる一瞬の印象である。蜂神社の夏祭りには義家ゆかりの郷土芸能として必ず奉納される。
平沢鹿踊(
確認日時:
特記事項:最近子供用に段ボールで稚拙な鹿頭を作り用いている。往時は雌鹿狂いが大変迫力があったといい、筆者も一回だけ見たことがあるが、中で「ギィ、ギィ」と鹿の笛を吹きながら踊る姿は異様な印象であった。雄鹿に囲まれた雌鹿が腰をおろしたまま、激しく幕を振るう。
四ツ堰獅子踊(
確認日時:
特記事項:狛犬のような獅子頭が珍しい奇形の竜頭獅子で、踊りそのものにも純粋耳取ではないような味がある。一八が綱を腰にまわした子供であるのも珍しく、一通り踊ったあと一回囃子が切れるのも珍しい。太鼓の花笠には山車の牡丹を連想させるように白と赤の2種類がある。唄をかける踊りとかけない踊りで呼び名が違う。
山岸獅子踊(
確認日時:桜山神社祭礼(01.5.26・02.5.25
特記事項:南部氏が旧領の甲斐の国(あるいは三戸方面)から持ち込んだとされるもので、盛岡八幡宮祭礼行列の露払いを務め、また、城下の石垣の安全祈願に踊られたという。みだりに多種の祭礼で踊られることも無く(現在も南部氏3代を祀る桜山神社の祭礼でしか演じられていない)、それゆえに芸の流出が抑えられた。腹に太鼓をくくってたたきながら踊る芸能であり、唄や笛は脇に控える専門の奏者が奏でる。太鼓をつけないすっきりとした装束の雌鹿(めじしこ)を雄の鹿7頭が奪い合う場面が佳境となる。衣装、芸風ともに古風で風格があり、2歩で一列になる部分が見事だ。踊りの構成は一戸の根反鹿踊りや大迫の竪沢鹿踊りに通ずるところがある。耳取獅子踊りはこの踊りに大念仏や田植踊りの要素を加え、雌獅子の装束を拡張することで成立したのではないだろうか。
徳丹獅子踊(
確認日時:徳丹城まつり(
特記事項:幼稚園児によるもの(頭はダンボール)を見ても基本の斜め幕かながら左右振りはさまになっていた。南部公奥州下向の際に追随したという伝説を持っていて、桜屋・室岡に舞を伝承した「徳丹系」の元祖である。
下永井獅子踊(
確認日時:もりおか郷土芸能フェスティバル(01.9.2 キャラホール)・通し上演会(02.2.10 盛岡劇場)・多賀神社例大祭(03.9.2.pm4:00
特記事項:耳取と未だに交流が深く、直流の舞振りを伝える。さんさ踊り以上に跳ね回り乱打しまくる太鼓打ちが魅力で、基本的に早拍子であり、踊りに入るときに更に拍子を早めるのですごく抑揚がついて激しく感じる。太鼓をたたかない節が割りと目立つのも特徴で、撥を手にした両手を大きく開いて伸び上がってみせる。唐団扇やササラなど、少女の踊りもしっかりしゃがんで踊っていて上手であった。多賀神社の祭礼ではキャラホール裏の公園から踊り子が一列になって神社に入り、出店の間で列になって拝みの舞を奉納したあと社殿の前に輪を作って廻り踊りを幾つか披露し、その後祭壇を囲む形でお神酒や供物をささげて踊る「あげもの踊り」を演じる。花読みを経て2列横隊の組踊りを踊り、約40分の奉納舞を終える。
法領田獅子踊(
確認日時:もりおか郷土芸能フェスティバル(01.9.8 キャラホール)・通し上演会(02.2.10 盛岡劇場)
特記事項:囃し方の装束や獅子頭に若干のアレンジが見られ、獅子頭も異様に顔が大きく作られている。独特な雰囲気を感じさせるのは唐団扇の怪しげな首振りで、腕の開閉にも独自のリズムがある。雌獅子狂いは全く独自の芸態を伝承しており、しゃがんだまま回転する獅子の振り、唐団扇を縦に振るという特殊な動きなどが珍しい。南部の殿様が奥州下向の際に追随させたといわれる「竜頭の獅子」の伝説を持ち、幾たびの復活を経て民俗芸能の全国大会にも出場した。仏前供養の演目があるが、一方で豊年を喜ぶ踊りであるとも云われる。
室岡獅子踊(
確認日時:
特記事項:桜屋から伝わったという徳丹系しし踊りである。太鼓がかなり激しく動くので、獅子よりもこっちが見ものであった。ということは、踊り自体は…。最近は子供にミニ獅子頭をつけて踊らせている。
煙山鹿踊(
確認日時:
特記事項:竜頭の獅子では最もスキルが高く、総本山たる耳取の踊りを明治期からほぼ完全に伝承しているとされる。そのきっかけは、耳取の踊りによって雨乞いを行ったところ見事に雨が降って旱魃がおさまり、これに感動した煙山の人々が耳取に修行に行ったというもので、耳取獅子踊りの濃厚な宗教性・祈祷の意味合いを思わせるエピソードである。腰の据え方と動きのキレが秀逸で、幕をあまり振らないという鹿の動きが大変に見事である。とかくおざなりになってしまいがちな獅子の踊りがしっかりと踊られると、こんなにも見栄えのするものだ。今まで自分が見た踊りの中で、こう実感できたのはこの踊り組み以外にない。
沢目獅子踊(
確認日時:もりおか郷土芸能フェスティバル(02.9.8
特記事項:真言宗徒に属する仏教の芸能で、仏壇の採物を手に踊る『回向』が伝わっている。回向は踊りの付かない演奏のみの演目で、庭入り、仏壇前、中入りでご飯をいただくとき、お酒をいただくとき、お膳を下げるときなど、一軒の奉納につき何度も行われる。公演後の酒宴の席でも、会食を始める前にまず回向をあげる。ダダスコダンダンダダスコダンという耳取の一般的な舞い込みの拍子は通り囃子に使われておらず、「歩き太鼓」という庭踊りのいいとこどりのような曲が演奏される。全体として拍子が緩やかでペースが遅いが、このことがかえって各々の動き、拍子で体を十分にひねり、反り…ということを可能にし、まるで押し寄せる波のような迫力をこの芸に与えている。踊りを仕切るのは太鼓で、粘りつくような上半身の動きと、それにあくまで歩調を合わせながら暴発していく膝から下の躍動的な踏み込み、「えいやこら…」の掛け声で完全に太鼓を腹の上に乗せてしまうほど反り上がる。連中さんさがどうしても抱えてしまう不徹底を見事に払拭し、完全な形を作っている。他の舞手にしても、各々どう動くのが一番効果的か徹底して考え抜かれており、盛岡広域の郷土芸能が持つもっとも理想的な部分のみを凝集したような、まさに南部地域随一の供養踊りとして完成されていると見たい。
※ 参考:一部耳取獅子踊りの流れを引くもの
紫野鹿踊(
確認日時:
特記事項:筆者の知る鹿踊りではもっとも古風な雰囲気の踊りである。太鼓系とはまったく別口で「春日流」を称し、奈良の春日大社の鹿の踊りであるということを強調して、幕にも「春日野」の文字を染めている。
小沢鹿子踊(
確認日時:
特記事項:太鼓と獅子による踊りで、少なくとも筅、唐団扇はついておらず、頭の形状も縦長で3本ヅノという点以外は耳取の形と似通っていないのだが、どうもこの踊りが耳取系に似ているように思われてならない。太鼓踊りの掛け声などまさに連中参差のそれであり、何らかのつながりから耳取の芸が宮古に伝わったのではないだろうか。舞い込みのお囃子が古ぶるしい情緒をかもし出しているのもいかにも義経ゆかりの郷土芸能という信憑性がある。源義経北方伝説のうちの一つで、宮古黒森山にお経を奉納した義経を地元の踊り連中が鹿踊りで慰め、その礼として義経が踊り連中に京風の雅な舞振りを授け、それゆえにこの鹿は大変上品で格調高く舞われるのだという。
文責:山屋 賢一