陸中廻神楽
〜日本有数の景勝地である三陸海岸は、複雑に入り組んだリアス式を呈している。寒流と暖流が交じり合う岬は格好の漁場であり、港を守る猟師たちは豊漁を願って小さな岬一つ一つに社を設け、海神を祀った。
点在する無数の社の祭礼。山伏神楽が奉納され、潮の香りと酒気に酔いながら、氏子たちは祭のひと時を過ごす。神楽幕はまるで大漁旗。黄・橙・赤の派手な色遣いで、豊穣な海原の旭日に照らされる社を描いている。中央には2本の幣が交差し、舞台の周りに無数のテビラガネが並ぶ。太鼓は皮の部分が浮き出ていて六角形、小さいながらひとたび胴取りの腕にかかれば、軽やかに弾む心地よいリズムが座敷一帯を走る。笛も高音主体の華やかなメロディーで、無数のテビラガネが呼応すると神楽座は、やかましいほどの明るい音色に包まれる。舞手が激しく幕を揺さぶって登場し、その動きは一瞬足りとも観客の目をほかに向けさせない。華麗に、軽やかに、時にはしなやかに、全身の筋肉が躍り上がる至福の瞬間の連続…。 三陸海岸で愛されてきた山伏神楽は、海上安全の守り神である2つの霊山の権現を祀ったことから誕生した。その山を黒森山、卯子酉山といい、両山の権現を祀ってきた山伏たちは、広く陸中海岸に霞(カスミ:布教領域)を拡充すべく獅子頭を奉じて社を巡り、神楽を上演した。その習慣はいつしか浜に暮らす人々の最大の娯楽となり、雪が厚く積もる冬の三陸、新春の到来を告げる”廻り神楽”として定着した。神楽自体も非常に娯楽性の強いものに転化し、悪魔を祓う祈祷舞に始まり、劇仕立てで観客を魅了する仕組みや狂言、神代のありさまを語る神舞、性別や年齢を超えた妙技で見せるかずら(女舞)や翁舞など、バラエティに富んだ趣向を次々と創設していった。激しい跳躍、回転を魅力とする『榊葉』に観客は感嘆の声をあげ、恐ろしい形相で四方をにらむ『山の神』に畏怖し、鯛釣りの妙技を含む『恵比寿舞』のユーモアに腹のそこから笑い転げる。そうして更けゆく新年の夜は、日付が変わる頃までテビラガネの音がやまない…。
正月巡業の伝統を今も続けている2団体は、いずれも文化庁の記録措置文化財に指定されている。
2つの神楽の芸風は、正当なところで南は
岩手県指定無形民俗文化財に、
山口の神楽《黒森神楽》(
夏井の大梵天神楽 (
鳥居の神楽《鵜鳥神楽》(
末前の神楽(
羅賀(和野)の神楽《大宮神楽》(
金沢の神楽(
砂子畑の丹内神楽(
田代の神楽(
八雲神社の神楽(
山根の神楽(
陸中廻り神楽 演目の紹介
『打ち鳴らし』 神楽座を清めるために神楽拍子を打ち鳴らすもので、『神降ろし』『座揃い』などともいう。陸中廻り神楽の華やかで美しい音楽を素で楽しめる機会であり、あいだに神楽発祥の逸話を語る謡が入る。鵜鳥神楽では幕の前に囃子方が車座になって行い、幕をはじめ鉦や笛を誉める儀礼を遺し、30分にもわたる存在感絶大な演目に昇華している。
『清祓い』 黒森神楽で一番初めに舞われる役舞で、創造神イザナギが桃の枝を持って黄泉の国の穢れから身を護ったという故事に習い、桃の枝に幣を飾った採物、太刀、塩などで舞台を清める髭のある白荒面での一人舞。鵜鳥神楽ではスサノオノミコトの舞とされ、長髪に髭のない白い荒面の一人舞として踊られる。
『岩戸開き』 便宜上『二人岩戸』と呼ばれる鵜鳥神楽で一番初めに舞われる役舞。岩戸開きの伝説に登場するタヂカラヲノミコトとフジシシノミコトの2人舞で、前述した清祓いを2人で舞うイメージだが、採物は御幣と扇。「祓いたまえ清めたまえ」で終わる掛け声が2回入る。黒森でも神の名をたがえて演じられており,北端では
『榊葉』 神様に供物を捧げる舞で、終始回転、跳躍を繰り返す軽いタイプの荒舞。陸中廻り神楽特有の斜め上方向への上体の回転が見もの。途中胴取りに切りかかるシーンに観客は息を呑む。巡業の際に必ず舞われる準役舞で、黒森神楽では跳躍を強調し、鵜鳥神楽では地にうねる動きを強調する。連れ舞といって本来は一人舞なものを2人で舞うこともある。
『松迎え』 長者の息子の2人の兄弟が正月飾りの門松に使う松の枝を求めるという正月神楽らしいおめでたい舞で、2人の舞手によるシンメトリー的な魅力がおもしろい。しなやかな体のくねりでみせる品舞の代表格で、管理人が最も愛好する舞である。序盤は面をつけた練、中盤に四方の栄の松を取り集めるおめでたい謡があり、その後面をはずしての崩しとなる。黒森神楽では松の栄を集める謡で面を外し、鵜鳥神楽では四方に向けて見得を切る動きを繰り返す。
『利生舞』 久慈の夏井大梵天神楽のみが伝える舞で、廻り神楽一般における榊葉と同義か?袖の広い千早を手首に引っ掛けるようにしてまとい、これを翻しながら軽やかに踊る一人舞。千早の袖は鳥の羽のようにも見える。神様にお神酒をささげる舞であり、ご祝儀にお酒が上がった場合本当の舞手と同じ鳥兜をつけ、酒の本数分の補助の舞手が登場する。
『新・天の岩戸開き』 手力雄の尊の一人舞に始まり、八百万の神々が岩戸の前に集って神遊びをし、岩戸にこもった天照大神を現世に引き戻すという、神楽発祥神話を演じる。アメノウズメの舞は神子舞に近く、最後は岩戸開きの祝いに神々が御祝い(ゴイワイ:祝い歌)をあげる。御祝いは華やかな神楽拍子の中にあっては叙情的とも思われる不思議なメロディーである。
『御神楽』 雌雄の鳥を演じる短い舞で、一人は男装、一人は女装、鳥兜に錫丈、扇子で踊る。黒森神楽において『新・天の岩戸開き』の直後に舞われることが多い。
『岩長姫』 日本武尊の一人舞に続き、岩長姫というお姫様の女舞になる。古事記で天孫の妻になる佐久屋姫の姉として描かれるこの女神は容貌醜悪にして天孫に追い返されるのだが、神楽においては美貌を湛えた美しい姫君である。が、この姫君は実はかつてスサノオによって退治された八岐大蛇の怨霊の化身であり、草薙の剣を盗み出して蛇に姿を変える。これを退治しようとする日本武尊との立ち回りとなり、鵜鳥神楽では、幕からぬっと顔を出す大蛇がなんともおどろおどろしくてよい。また、8回とはいかないまでも、何度か切り殺されて復活というのを繰り返したり、また幕を揺さぶって反対側から出てきたりと、なかなかに娯楽的である。
『八岐大蛇退治』 緋の川に箸の流れ着いたのを見つけたスサノオは宿を借りる為に箸の主を探す。すると涙に暮れる老夫婦が現れ、娘が蛇の嫁に取られてしまうと嘆いているのである。蛇の名を八岐大蛇といい頭は八つに尾は八つ、目は鬼灯のように光りその体を幾千の山河を巡るほどであるという。嫁に取られてしまう娘を見たスサノオは一目惚れして、大蛇を退治する代わりに娘を嫁に呉れといい、8つの甕に酒を用意させ大蛇を待ち構える。大蛇は甕の中の酒を飲み干して酔っ払い、その隙を突いてスサノオは大蛇を切り殺してしまう。切り殺した大蛇の尾から草薙の剣を得て舞い納めとなる黒森神楽巡業の際の準役舞。”仕組み”と呼ばれる内容重視の舞の一環と思われ、あまり拍子は入らず、完全に劇中心の踊りとなっている。クシナダヒメの父母が大蛇のことを語るシーンで、バック音楽に笛が入るのが演出上すごく気に入っているし、老婆が以上に腰をたわめて歩く妙技も見もの。大蛇は真っ赤な装束に般若面、幕に寄りかかるようにうねって登場する。途中何度も姫を奪いにくるが、その都度スサノオが退けて立ち回る。スサノオは話の内容を劇中巧みに解説し、そのため内容が大変理解しやすいものとなっている。
『天女』 祇園祭に八百万の神々が集まった時、見目美しい諏訪の女神様が所望されて舞を舞うというもので、鵜鳥神楽では面をつけない2人舞、黒森神楽では面をつけた一人舞の後老父が登場し、その後面を取ってクズシを舞う3段構成。本来女舞のはずの『天女』が本当に女性によって踊られている鵜鳥神楽の場合、面をつけずに美しく着飾った姿には、観客から「綺麗!」と歓声があがっていた。こういう風景は私にとって鵜鳥神楽の象徴的一場面になってしまっている。舞手の一人が本当にいい笑顔で登場したのも忘れられない。2人舞の天女は、鳥兜の上にさらに冠をかぶり、扇子を4つずつ持って優雅に踊る。序盤は閉じたままくねらせるように動かし、中盤で胸から扇子を2本出して開き、円を描くように組んで緩やかに揺らす。足をガンガン上げる動きが見事に女舞的に、上品にアレンジされていてすごく綺麗であった。
『所神舞』 夏井大梵天神楽特有の荒舞で、神楽を演じる先の神様を舞って見せるため、場によって名前が違う。白装束に面なし鳥兜で踊られる。
『綾遊び』 鳥兜の子どもの2人舞で、飾りのついた二の腕ぐらいの長さの棒(アヤ棒)を振り回して踊る荒舞で、上半身全体を振りまわしているような、勢いと迫力がある。鵜鳥神楽において子供が演じる舞のひとつで、家族の幸福を願う意味があるという。黒森神楽では『綾狂い』という荒舞がこれにあたる。
『勢剣』 やはり鵜鳥神楽の子供用の舞。こちらは木刀を持って踊り、外見は”山の神”のもどき舞に見える。前半は3人の組み踊りで、ここに刀の柄を抑えて狂う山ノ神の雰囲気があるように思う。後半は曲技的な刀くぐりを様々な型で行い、木刀の数を3本、2本、1本と減らしていく。特にも木刀1本で行う刀くぐりは大変珍しい。
『翁』 黒森神楽が最近復活した。恵比寿舞と基本は同じで、掛け唄もほかの系統の神楽とはまったく違い、自分がどういう翁であるかを述べていくようなくだりから始まる。床に密着するように体を3段階くらいにうねって見せるのが魅力。
『三番叟』 祝い事に引き出とされるおめでたい舞。いずれも面なしで踊る江戸風のもので、黒森神楽では錫丈2本をゼンマイのようにくるくるやりながら反っていき、烏帽子が畳についたところでやっと起き上がる。平成14年6月8日の黒崎神社における黒森神楽の公演では舞い手が表情豊かだったのも手伝って、曲芸風の非常に楽しい舞になっていた。
『三番御神楽』 『御神楽』と『岩戸開き』に『三番叟』を余興的に加えた形となる変わった構成の演目で、始めに黒面の三番叟を含む4人の舞、そのあと2羽の鶏の見守る中、岩戸の前で三番叟が舞を披露し、天照大神を岩戸から引き出す。現在の岩戸開きが定まる前には、岩戸開きとして踊られていた。
『高砂』 老夫婦の舞で、長寿を願うおめでたい舞である。『松迎え』が基本ベースになっていて、お爺さんは箒、お婆さんは熊手をそれぞれ持って踊る。これには「おまえ掃くまで(箒のイメージ、100までとかけている)、わしゃ始終熊手(99までとかけている)」という洒落があり、お互いもっと長生きするように願いながら、腰をずっと前に曲げた状態で踊りが展開していく。後半は老いを表現する道化舞となる。
『高村』 平安の歌人小野篁が屋敷の新築祝いに小槌を携えてやってくるという演目。若面の2人舞だが、『松迎え』のしなやかさに比して切れのある活発な練りに仕上がっている一種の武士舞。中盤に屋敷の鴨居を小槌で打って棟上の祝儀とする。
『鍛冶屋』(狂言) 黒森神楽の狂言で、刀鍛冶として有名な三条宗近が徳川普代の本多平八郎に刀を頼まれ、締め切りを一年間違えて大騒ぎをする話。傘を使った巧みな鍛冶の描写が見もの。
『女おろし』(狂言) とある神社に嫁乞いの祈祷をさせるべく道化役を使わせるというストーリーで、囃子は殆ど無く、舞手も普通に時代劇かつら、顔面ペインティングなどで登場する。主人からおおせつかった嫁乞い祈祷料の100両を、果たして道化役はどう使うのか。クライマックスは2人の嫁が登場して…。平成14年1月5日に
『田中の地蔵』(狂言) 職業なら何でもこなしてきたという怪しげな男が胴取とのやり取りの中で職業論を面白おかしく語り、地蔵を彫ってくれと頼まれるが、彫り方をしらないのでどうしようもなく、自分で地蔵に化けて誤魔化そうとして…。
『伊勢参り』(狂言) 狂言で、旅ものの一種。道化が旅の道中で歌う道中歌が人気。
『小山の神』(狂言) 人気の高い荒舞『山の神舞』のパロディーで、山の神が登場するときと同じお囃子が奏され、幕から軽装に道化面をかぶった貧相な格好の小山の神が登場し、腰にさした擂粉木をお神酒に浸して懐紙をかぶせて破り、主に女性客に安産のお守りとしてその紙片を配る。
『山ノ神』 沿岸廻り神楽2団体が最高の舞としてあがめる荒舞の真骨頂。赤い面の女神である山の神は12人の子を成して後の干支としたといい、背には子供を表す立体的な帯が巻いてある。はじめは幕を振るうだけでなかなか姿を見せず、やがて猛々しく登場するが、自分の顔の醜さを恥じてなかなか表を見せない。後姿で思い切りうねって見せる迫力は神楽の崇高なエネルギーを感じさせる見せ場。正面を向くと独特のポージングで見得を切り、様々な採り物を取って荒ぶって見せる。鵜鳥神楽ではお散米を異常な激しさでぶちまけて見せるのが圧巻で、山の木を切るために刀を抜くと観客からいっせいにおひねり(賽銭やお散米)が飛ぶ。練が終わって一時舞い手が引っ込むと、情緒ある節に乗って山ノ神の由来が語られ、幕の下から御幣が出て激しく震える。やがて面を外した舞い手が『榊葉』に近いクズシ舞となり、観客にお神酒を配って舞い納める。約40分の舞で、公演の際には必ず舞われる役舞、最も人気のある演目である。
『恵比寿舞』 沿岸廻り神楽の最後を飾るのは大漁祈願の恵比寿舞で、しなやかな粘る動きで見せる品舞。機械のように首や腕、胸部を横に動かすのが面白い。中盤で釣りの仕掛けを黙劇風に作って見せ、鯛釣りのアドリブを含む舞手の自由なノリで演じられる縁起のいい演目である。作り物の鯛を見事に生きているように見せるのが熟練の技で、いかにも漁師の町の芸といった印象。北へ行くと特有の掛け声がかかり、鵜鳥神楽では「レレレー」、夏井大梵天神楽では「ハイ、リーリーリ」というように聞こえる。夏井においては前半の練りの部分が扇子を激しく振る妙技に彩られていて、他と一線を画する。見事鯛を釣り上げ観客に振舞ったあとは、釣り竿を船の櫂に見立て、幕の向こうへ舟をこぎながら下がる。『恵比寿舞』のあとには、求めに応じて仕組みや手踊りが演じられることもある。
『浦島』 浦島太郎を黒森流にかなり脚色して踊る55分の長い舞。太郎が徳利や羽織を釣り上げた後、乙姫を釣り上げるという趣向で、乙姫の父である竜神も登場し、立会いの元に婚礼を行う。最後はゆっくりと幕から登場してうつ伏せになったまましばらく待ち、ふっと顔をあげると翁面の老人になっているという、ちょっと怖い感じの終わり方をする。
『鐘巻』 信心深い長者の一人娘が、女人禁制の鐘巻寺にもうでる為に千日の苦行に耐える。しかし、つい出来心から鐘巻寺の鐘の緒に触れてしまい、天罰が下って姿を蛇身に落とされてしまう。霊験あらたかな山伏が娘の身を嘆き、法力をもって蛇身を鎮め娘を救い出すという話で、縁起が悪いので神社奉納や巡業では演じられず、ではどこで演じるのかと疑問な舞。
『松尽くし』(手踊り) 求めに応じて行われる余興の手踊りで,5本の扇子を額と両手両足にはさんで様々な松の枝振りを表現して見せる曲芸色の強い妙技。民謡調の賭け歌も味わい深い。
『笠松山』(仕組み) 笠松山にねぐらを構える女盗賊が癪を患うふりをして侍を騙し、深い河を浅瀬と偽って足元を取ったところを殺害し、金品を強奪する。数年後、同じようにして以前殺した侍の子を殺害しようとするが見破られ、格闘の末幽霊の加勢も得ながら侍の子は親の仇を討つ。笑いが起きる演目だが、実はすごくおどろおどろしい内容で、幽霊が白い衣を着て顔や手を包帯でぐるぐる巻きに隠して現れるのは個人的にすごく怖い。最後の侍のセリフが「盗賊どもをなめし切り(女盗賊を倒したので、このまま盗賊たちのねぐらへ乗り込んで壊滅させてやろう、といったような意味)」で終わるのも不気味な感じがした。仕組みは役舞がすべて終わった後に宿の求めに応じて演じられる芝居色の強い演目で、鵜鳥神楽の巡業時には、記載したものの他に『鞍馬』(牛若弁慶)や『羅生門』などが演じられるという。
『節分』(仕組み) 赤鬼青鬼がのっしのっしと舞台を荒々しくめぐった後(これははじめに踊られる『岩戸舞』の動きと同じ、東アジアには釈迦がいて悪事が出来ず、日本は神国で悪に染められない…と稼業の滞りを愚痴る。そこで青鬼が色欲で日本をつぶしてしまおうと美女に化け、内裏に使える高官を誘惑して国家転覆の宴を開く。そこへ源経基が帝の御世を汚す歌の文句を聞きとがめて登場し、正体をあらわした魑魅魍魎と腐敗高官を次々と切り伏せていき、佳境となる。経基が鬼退治の序盤で豆撒きをするが、これは巡業の時期が節分に重なることから大いに人気のある趣向で、鬼に扮する舞手は巡業先に持ち込んだお面を逆さにかぶったりしながら、手を変え品を変え次々と登場する。『岩戸開き』『山の神』など人気演目の舞の型が登場するのも見所。
『阿漕が浦』(仕組み)
『篠田の森』(仕組み) 信州篠田の森の七色狐を道化の狩人が捕まえに行く話で、岩手県内の神楽狂言では比較的よく演じられるもの。娘に化けた狐が狩人を翻弄するくだりがなんともおかしく、狐が正体を徐々に現す様子は面を2つかぶり、背中で手を合わせるなどして表現する。最後は捕まった狐がその年の豊年、豊漁を予言しおめでたく幕引きとなる。
『一の谷』(仕組み) 平家物語の「敦盛最期」を演じたもので、敦盛が「笛も忘れて逃げたのでは臆病者とそしられるだろう」と引き返し、敦盛の妻は一緒に出陣したいと夫に懇願する。一方熊谷はわが子が腕に刺さった矢を抜いてくれと頼むのをつっぱねる。このようにエピソードが多彩で、風格ある筋運び・台詞が魅力である。熊谷が敦盛を追いかける場面は神楽舞台を大変面白く使い、勝負がついていよいよ首を取る段になっても、熊谷はなかなか刀を振り下ろせない。観客からは「助けてやれ」と歓声が上がる。五月人形のような具体的な鎧姿も独特。
『権現舞』 神事に用いられる祈祷舞で、獅子頭を扱うもの。夏井大梵天神楽では「噛めば噛むほど〜」という賭け歌によって踊られるが、形態は周辺の山伏神楽のものと同じ。歯打ちの部分に誇張が見られるのは県北部の影響と思われ、また掛け歌の主張具合には鳥海山の番樂の雰囲気がある。黒森・鵜鳥両神楽では紋付袴の装束のままで舞われ、複雑な扇子繰りに始まり、獅子頭をすっぽりかぶらずに両手で操って見せる。『舞い込み』『舞い立ち』の際の儀式として演じられる趣が強い。舞い込む際には松明を踏んで火防を祈祷する。
『しとぎ獅子』 主に正月に舞われる『舞い込み』の餅つき踊りバージョンとも言うべきもので、太刀と杵を旋回させながら臼を囲んで輪踊りをし、中盤に臼の中のしとぎをこね、観客一人一人の額に塗ってお守りとする。七つ踊りというものの発生起源のひとつといわれる舞である。
『御堂入り』 野外で踊られるもので、七つの宝物をささげもって舞われる。末前神楽では特に『末前七つ物』として演じられ、学校教育にこの種の神楽を取り入れた場合『舞い込み』として男は刀、女は扇を採りものに踊られる機会がある。
『鶏子舞』 沿岸の神楽が子供に舞わせる舞として、御神楽や榊葉を簡易にアレンジしたもの。大槌のお祭りでは行列につく金沢神楽の一段が辻辻で披露する。丹内神楽など上閉伊地域の神楽では、膝をついて兜を振る動きと、腰をたわめて伸び上がりながら回転する動きの2つが軸となっており、回転の多い舞は飛び立つ鶏の活発さを思わせるものがある。3人組になって踊る5分超の短い舞。