盛岡山車の演題【風流 熊谷陣屋】
 

熊谷陣屋

 



 平家物語「敦盛最期」のエピソードを脚色した有名な歌舞伎で、『一ノ谷双葉軍記』という。この中で熊谷次郎直実は源義経に「一枝を切るならば一指をもって報いよ。」という指令を受け、天皇の隠し子である平敦盛を秘密裏に救う代わりに、実の息子(「一子」:一枝、一指、いっし…とかけている)の小次郎を敦盛の身代わりとして刺し殺す。首実検に際し、敦盛の母藤の方がやってくる。藤の方はかつて禁裏の女中と恋に落ちて詰め腹を切らされそうになった熊谷の命乞いをしたことがあり、我が子を殺した熊谷を恩知らずと散々にののしる。熊谷は弁解したい気持ち、本当は敦盛を救うために自分の子供を殺したことを自白したい気持ちを抑え、ここで真相が知れれば全てが水の泡になる、と首に近づこうとする藤の方を正札で遮る。歌舞伎における最も絢爛な見得のひとつといわれる熊谷の正札を逆さに構える姿は親子の逆縁という深い悲しみの表現であって、どうにもならない俗世のしがらみに立ち向かう哀れな武士の姿を克明に観客の目に焼き付けるものである。

 昭和初期の盛岡で、複数の人形を用いて熊谷陣屋が数回作られた。三番組は、熊谷と小さな人形で仕立てた義経の2体で『熊谷陣屋』をつくった。平成に入ってからは、ちょんまげに深緑の裃姿の熊谷が白州の陣屋に袴を垂らして悠然と見得を切る姿を石鳥谷の下組が山車にした。また、くだんの義経を伴う熊谷陣屋を太田の山車組が手作りした。

盛岡太田お組平成18年




(音頭)

義経与えし 制札抱きて 直実無情の 見得を切る
熊谷陣屋の 桜の下で 次郎直実 夢を見た
陣屋の桜 我が子の姿 映す姿を 制札に





文責・写真:山屋 賢一


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