盛岡山車の演題【風流 鳥居前(源九郎狐)・吉野山・狐忠信】
 

狐忠信

 



『風流 鳥居前』沼宮内大町組昭和61年

 源義経を扱った代表的な浄瑠璃が「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」で、狐忠信の他に『碇知盛』もこの脚本から採られた演し物であるし、見返しの『静御前(しずかごぜん)』の場面取りについても千本桜を踏まえたものが散見される。この作品に限らず歌舞伎ものの義経の大多数は、源平合戦の後に兄との衝突から都落ちを余儀なくされ没落していく「追われ義経」である。

 義経は源氏の挙兵の折、奥州平泉から古今無双の荒武者を二人従え参陣した。一人が佐藤継信(さとう つぐのぶ) もう一人が佐藤忠信(ただのぶ)で、二人は兄弟である。このうち兄の継信は屋島の戦いで能登守教経の矢に掛かって討ち死にし、弟の忠信は義経を逃亡させる過程で身代わりとなって奮戦の末落命した(碁盤忠信はこの時の話)。千本桜に登場する忠信は、伏見稲荷(ふしみいなり)で襲われた義経の愛妾 静御前を助け、吉野路を静の供となって旅をする。川連法眼の館で義経と会見した際、実は自分は忠信に化けた狐であると明かし、なぜ自分が忠信になって静のお供をしてきたのかを語り始める。
 狐が化けた忠信なので、千本桜の忠信は「狐忠信(きつね ただのぶ)」といい、山車の演題名にもこの名で採り上げたものがある。狐忠信は一見静御前を守っているように見えたが、実は静の持っている皇室の重宝「初音の鼓(はつねの つづみ)」を守っていた。この鼓が、狐忠信の両親の生皮を張って作った鼓であったからである。正体を見破られ帰らねばならなくなった狐忠信は、鼓と別れるのを嫌がりのたうち回って苦しむ。義経は兄に追われる身の上で、狐忠信が鼓に変わり果てた両親にさえ溢れんばかりの情愛を示す有り様に悲憤と感銘を抑えきれない。義経は狐忠信の「人間に勝る肉親への孝行」を讃え、静を守ってくれた礼として「源九郎ギツネ(義経の読みと狐をかけている)」の名と初音の鼓を与えることにした。感激した狐忠信は真っ白な毛皮の姿に狐火(きつねび)を点して、喜んで吉野の山へと帰っていく。

「四ノ切の狐忠信」盛岡の組平成18年


「鳥居前:城西組型」東和町土沢

 盛岡ではこの物語から、主に3つの場面を山車に採り上げている。1つ目は、伏見稲荷の鳥居前で静御前を守る荒事の狐忠信で、これは火焔筋隈(かえん すじぐま)を取って赤衣装に源氏車、派手な仁王襷を掛けたいかにも歌舞伎山車らしい趣向である。鼓を背負ったり片手に構えたりするのが常だが、昭和40年代の初回構想は討手を一人抱え込んで見得を切る姿であった。両手を広げて通せんぼをするような型も使われたが、あまり効果を上げず、盛岡の城西組が使った片手に鼓を構えた型が定型化している。背景に立体的に大鳥居を作るのも慣例で、特に盛岡市内の作では傍らに石灯籠を配すなどして人形を中心線からずらして据えることが多い。題は『狐忠信』・『鳥居前』(主に沼宮内)・『源九郎狐』・『義経千本桜』など様々だが、盛岡城西組の作例以降「源九郎狐」と付ける組が多くなった。盛岡のさ組は実際の歌舞伎と若干離した形で作り、義経の赤鎧を背負わせる。

絵紙『吉野山道行初音旅』もりおか歴史文化館提供

 2つ目は、吉野山を旅する静御前と狐忠信の2体飾りで、戦前の盛岡祭りに1度だけ出ている。絵紙は大変見事だが、実物は忠信だけが大人形で、静御前には見返しサイズの人形が使われた。背景は満開の桜と義経の鎧、初音の鼓が頭の部分に乗って義経の顔に見立てられている。同じく忠信・静の取り合わせで石鳥谷で出た『初音の音色』という見返しがあるが、これは後述の四ノ切(しのきり)の前半、狐忠信が静御前の鼓の音に呼び寄せられうっとりする場面を飾ったものである。
 3つ目は正体を現した白装束の狐忠信で、昭和50年に盛岡のい組で初めて山車にし、平成に入ってからは同じく盛岡のの組が3度出している。うち初回のみが肌色の忠信、後の2作は白塗りであった。歌舞伎の舞台で使われる衣装は一部または全てが毛並みに覆われているが、山車人形に着せるのは光沢のある白地の着物に狐火を表す赤い紋を入れたものである。片手に鼓を持ちもう一方は狐手に結んだ独特の風貌で、稀に影絵遊びの狐手で作る例がある。一見幽霊にさえ見える異様さである。歌舞伎の場面は「川連法眼館の場」俗に「千本桜の四ノ切」といい、豪華な御殿を舞台に物語が展開されるので、山車にも館の壁面や黒塗りの欄干が伴われることがある。このタイプの狐忠信こそ「源九郎狐」の題が合いそうな気もするが、現行では『狐忠信』以外の題は付いていない。

忠信に斬りかかる静御前(石鳥谷下組平成11年)

 見返し対応は、行われない時期が長かった。『初音の音色』も表とは無関係に上がっているし、静御前の道行姿ももともと狐忠信に対応して出てきたものではない。沼宮内で初めて『鳥居前』が出た時の見返しは静御前ではあったが、定例的な奉納舞の場面であった。石鳥谷の下組が赤い着物で短刀を構えた静御前を『源九郎狐』の見返しに上げたが、これは偽者と怪しんで静が狐忠信に斬りかかろうとする四ノ切の一場面で、このあたりが見返し対応のはじめであろう。近年は鼓を打つ静や道行の静が狐忠信の背を飾りつつある。
 千本桜狐忠信の山車は岩手県内では花巻・久慈、秋田の角館、青森でも八戸や三沢・青森ねぶたや弘前ねぶたなど多岐に亘ってみられる。創作性の高い作法の下では、白狐のモチーフを歌舞伎人形に伴うことがある。  



(ページ内公開)

日詰橋本組『狐忠信』  盛岡さ組『源九郎義経』  盛岡お組『義経千本桜』
盛岡い組『見返し 吉野山静』  石鳥谷上和町組『見返し 初音の音色』  日詰上組『千本桜の静御前』  

(八戸流)青森県三沢市


本項掲載:『風流 鳥居前』沼宮内大町組S61・『風流 狐忠信』盛岡市の組H18・『風流 源九郎狐』東和町土沢鏑町H24
絵紙『吉野山道行初音旅』もりおか歴史文化館提供、大正期盛岡・『見返し 静御前』石鳥谷下組H11・秋田県角館町



文責・写真:山屋 賢一
(資料協力御礼:もりおか歴史文化館さま)




山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
伏見稲荷鳥居前 沼宮内大町組(本項1枚目)
盛岡城西組・日詰橋本組
石鳥谷下組
盛岡城西組
盛岡さ組(見返し)
土沢鏑町(本項3枚目)
盛岡さ組
盛岡お組
沼宮内愛宕組
盛岡玉組 盛岡城西組(香代子)
盛岡城西組(圭)

(二次資料)
盛岡玉組(富沢)
沼宮内大町組(香代子)
石鳥谷まつりチラシ
チャグチャグ馬コ祭り絵紙
盛岡さ組
盛岡お組(圭)
忠信と静御前 石鳥谷上和町組 盛岡本町
(二次資料)
盛岡本町(本項4枚目)
狐忠信四ノ切 盛岡の組@AB(本項2枚目)
石鳥谷上若連
盛岡い組 盛岡い組(富沢)
盛岡の組@AB
※ABは同じ絵柄

石鳥谷上若連(手拭)

ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭 鳥居前)

親と知りつつ 初音(はつね)の鼓(つづみ) 御前しずかと 源九郎(げんくろう)
源九郎狐
(げんくろうぎつね) 忠信変化(ただのぶへんげ) 義経忠義の 伏見(ふしみ)
伏見やしろに 初音の鼓 きつね見得切り 敵を討つ
燃ゆる狐火
(きつねび) 焦がるる想い 紅(べに)に揺らめく 火焔隈(ひもえぐま)
深夜に急ぐ 道行
(みちゆき)険し 伏見稲荷(いなり)の 灯(ひ)の悲し
裾を払えば ひらりとかわす 寄せ手蹴散らし 暴れ舞う
忠義一徹
(ちゅうぎいってつ) 忠信狐 敵を蹴散らす 剛(ごう)の者
母の鼓を 忠信かかげ 討手蹴散らす 鳥居前
(とりいまえ)
鼓いただき 静を守り 伏見稲荷で 見得を切る
静御前の 鼓を守る 九郎狐の 恩返し
九郎判官
(くろうほうがん) 忠信狐 歌舞伎名代の 六方(ろっぽ)踏む
初音護りて この花道を 狐六方
(きつねろっぽう) 軽やかに
春の吉野
(よしの)に 萬朶(ばんだ)の桜 誉れ忠信 世に残る


(音頭 吉野山)

日詰まつりに 引き出す山車は 歌舞伎名代の 吉野山(よしのやま)
花の吉野に 静を追えば 鳴るは鼓か 我を呼ぶ
鼓奏でる 愛妾
(あいしょう)静 化身(けしん)忠信 戯れる
千本桜に 鼓を奏で 春の野山は 絵の如し
女雛男雛
(めびな おびな)を 踊りに舞えば 水に映るは 恋姿
谷の鶯
(うぐいす) 初音の鼓 調べ綾(あや)なす 吉野山


(音頭 狐忠信)

狐忠信 胸打つ調べ 初音(はつね)の鼓 浪の音
焦がれ慕いし 初音の鼓 舞うは桜の 吉野山
鼓悲しや 源九郎狐 静御前が 袖濡らす
再起源氏の 旗なびかせて 主の戦功 呼ぶ忠臣
鼓に秘めたる 化身の覚悟 再起源氏の 胸を打つ
親を慕いて 姿を借りて 九郎狐の 見得の佳
(よ)
頬すりよせし 鼓の親子 晴れて六方 いとまごい
さらばさらばと 別れを惜しむ 狐親子の 晴れ姿




秋田県角館町

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