盛岡山車の演題【風流 鬼童丸】
 

市原野鬼童丸

 



紫波町日詰橋本組昭和52年

 構想当初は『風流 市原野(いちはらの)』と題が付いていた。盛岡の本組が案出し、戦前戦後で一回ずつ出している。飾り物は、黒い大牛を引く見目麗しい童子の人形である。

 源氏草創期の武勇伝を綴った「前太平記」に登場する鬼同丸(きどうまる)は、もともと比叡山の稚児であったが、天狗の術を修めて山を降り、盗賊となった。一説には、大江山の酒呑童子が都からさらってきた娘の一人に産ませた子ともいう。源頼光(みなもとの よりみつ:通称”らいこう”)が鬼同丸を捕縛した時、逃げ出さないように縄の上から鉄の鎖をかけた。この時のあまりの苦しさに鬼同丸は生死の境をさまよい、無事逃げおうせた後はただ一心に頼光を恨み、雪辱・仇討ちのため修行を積んだ。山車は、市原野で牛の群れにまぎれる鬼同丸で、牛の死骸に身を隠して鞍馬参詣途上の頼光を討とうとする。頼光は群れの中の一匹の牛が死んだ牛であることを見抜き、四天王とともに矢を射掛けて逆に鬼同丸を討ったという。

 「童形のおそろしげなる盗賊」鬼童丸は、盛岡山車では盗賊のイメージとはかけ離れた無垢な童子の姿で表現されている。前髪のあるりりしい白面に赤い着物のコントラストは雅ですらあり、片手に白刃を抜く鋭さも清新である。これは「鞍馬山だんまり」など歌舞伎の表現を写した、盛岡山車独自の描き方であろう。一方で、舞台の半分ほどを占める牛のインパクトが、ただ上品なだけでは終わらない面白さを山車に加えている。ちなみに、牛が登場する演し物は、盛岡山車ではこの『鬼童丸』だけである。足元には荒野を醸してススキを飾る。

沼宮内大町組平成11年

 平成に入ってからは、沼宮内の大町組が見返しとして2回作っている。1度目は釣鐘を盗もうと縄をかけているところ、2度目は本組と同じ大きな黒牛を引く姿で、悪童盗人のイメージで飾ったため、髷は見せずに紫色の頬かむりをさせた。



青森県弘前市(購入写真)

(他の地域の「鬼童丸」の山車)
 ねぶたでは数例取材されているようだが、盛岡山車のような子供の姿の盗賊ではなく、浅黒いいかにも盗賊風体の男を牛の首などを添えて作る。古代の盗賊としてよく登場するイメージのひとつに、牛の頭を持っていたり牛皮をまとっていたりする姿があるが、これが現在に引き継がれる鬼童丸の姿なのであろう。関西方面の山車の刺繍飾りにも、「袴垂」や「羅生門」に並べて、やはり上記のような盗賊姿の鬼童丸が登場している。
 大迫のアンドン祭りには、袴垂保輔と技比べをする鬼童丸ということで、印を組み大蛇を召喚する姿が出たことがある。非常に凄味のある、アンドン山車ならではの構想であった。青森ねぶたでも同様の鬼童丸が試みられたことがあった。
 他地域では牛を使う定番演題として、源平合戦倶梨伽羅峠の木曽義仲が出てくるが、盛岡山車では今のところ取り組まれていない。



(参考)干支の演しもの

旧稗貫郡大迫町(提供写真)

 秋田の横手で行われる冬の行事「梵天祭り」には、干支にまつわる頭飾り(祭りのたびごとに作り変える飾り)が非常によく登場するが、秋祭りの山車の動物に干支を擬えるような例はあまり多くない。これは、干支を意識しやすい年明け間もない小正月と、年の暮れも迫る秋口との違いであろう。山車の出る時期によって干支に対する意識も変わってくるものと思われるが、雪の降り積む小正月に山車が練り歩くとしたら、どんな動物が乗るだろうか。





文責・写真:山屋 賢一


(ホームページ公開写真)

盛岡本組第3作   土崎曳山(秋田)

山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
市原野鬼童丸 盛岡本組
沼宮内大町組(見返し)
盛岡本組@
盛岡本組A・日詰橋本組(本項1枚目)

二戸福岡下町
弘前ねぷた(本項3枚目)
盛岡本組(圭)

盛岡本組(富沢)
盛岡本組押し絵
鐘盗り 沼宮内大町組(本項2枚目)
技比べ 大迫下若組(本項4枚目) 青森県青森市
ご希望の方は sutekinaomaturi@hotmail.co.jp


(音頭)

此処(ここ)は洛外(らくがい) 怨みの刃(やいば) 頼光狙う 市原野
酒呑
(しゅてん)の落とし子 悪業奇行 比叡追われし 鬼の稚児(ちご)
牛に潜みて 頼光ねらう 怨みの刃 鬼童丸

大蛇大鷹 あやつる手腕 鬼同と保輔
(やすすけ) 技比べ
狙う大鷹 迎える大蛇 怒髪天突く 鬼同丸
天地轟轟
(ごうごう) 大蛇の術で 悪鬼羅刹(あっき らせつ)の 鬼同丸





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