気仙の七夕山車行事
気仙地方は、岩手県沿岸南部から宮城県沿岸北部にかけて、石巻など陸前地方より北の地域をさす。具体的には、岩手県大船渡市、同陸前高田市、宮城県気仙沼市を中心とする地域である。仙台七夕で知られるとおり旧伊達藩領では夏祭りの七夕行事が大変盛んで、各地の夏祭りでは街路を幾重にも大楠玉が飾る。気仙地方も旧伊達藩領であるので七夕祭りがさかんだが、とくに七夕飾りを山車に特化した珍しい風習群がある。有名なのは陸前高田市の喧嘩七夕だが、ほかにも各地に七夕山車(あるいは七夕「船」とでも形容すべきもの)行事が分布し、旧暦の七夕にあたる8月7日周辺に執り行われている。
一、高田町七夕(うごく七夕)
高田町の七夕山車は午前中と夜の2度、JR大船渡線陸前高田駅前通をパレードする。2度のパレードの間の部分で町内を個別に動くものと思われるが、実際に見たわけではないので良くわからない。昼と夜で、少なくとも吊り七夕を交換する。夕方に高田駅前を歩いていると、いかにもこれから出発する雰囲気の3台の山車に出会った。
駅前通で出している七夕山車は6時頃動き出した。中央地区の水色の七夕山車も公民館前で休んでいて、やはり6時を過ぎて動き出した。鳴石の七夕山車は飾りを付け替えている最中で、路肩に寄せて交通整理をしながら路上で作業していた。赤い短冊をたくさん吊るした2メートルくらいの笹竹を横に倒していたので、えらく奥行きの大きい山車に見えた。
高田町の七夕飾りは奔放で、噴水を仕込んだり、龍の形のアンドンを屋根に附けたり、竿を使って高さを2倍くらいにする山車もあった。吊り七夕の上の飾りも星型だったり、灯かりを入れたクス玉だったり、金魚鉢を象っていたり、いろいろであった。アンドンの絵柄は子供が喜ぶテレビアニメの絵が多い。子供が描いた作品もあるのかもしれない。パレード開始10分前くらいになると急に駅通りが観客であふれかえり、七夕山車がいつのまにか街路にずらりと並んでいる。薄暮より少し暗いくらいの時間帯で、まだ空は真っ黒ではない。町内廻りでは発動しなかった「上に伸びる飾り」の数々が、駅通りに出て次々と披露される。お囃子は大船渡農業高校などがよく演奏する「気仙町けんか七夕太鼓」とほぼ同じだが、団体によってメロディーが違うところもあり(和野組など)、いずれ非常に緩急のあるドラマチックなお囃子であった。腹帯姿の太鼓たたきのほか、浴衣を着た笛吹きも山車の真ん中に上って演奏している。大変狭そうだが、足場の無いところに無理に入り込んでいるのは大変粋に見えた。
気仙町の七夕山車は基本概型は高田七夕と同じだが、高田よりずっと凄い。言い古されている「凄い」という表現でどれだけ伝わるかわからないが、気仙町七夕の車が凄い。それは今まで出逢ったことの無いタイプの凄さであった。
多分そんなことは無いだろうと思うが、山から切り出された木がほぼ手付かずのままがんじがらめになって山車を作っているように見える。高田七夕にも梶棒丸太はあったが、気仙町のそれはものすごい存在感で「世の中にこんな大きな丸太が他にあるのか」と思うくらいであった。車輪も丸太を輪切りにしたような豪快なもので、車体を這うように走る藤蔓にも勢いが感じられる。
荒々しい山車である。岩手県の無形文化財山車行事は水沢と陸前高田の2件だが、水沢の場合は宮大工の作品のように精緻で整った美しさがある。陸前高田はこれと対照的に、豪華さとか華やかさとは無縁で、そういうものとは別次元の強烈な魅力をそなえた山車であった。筆者の浅い見聞に頼ると、このような方向性・美意識を持った山車は全国のどこにも無い。ガラパゴスのトカゲを見るようにまず「進化の仕方の違い」を感じるし、競わせたり比べてみたりという試みは、ここでは全く意味が無いと思う。筆者がもっとも無頓着な「製法」という部分について、陸前高田の山車はいやがおうにも考えさせる。山車は山車であるが、非常に多くの部分でそれは山車ではなく、だがしかし、たしかに底抜けに立派な山車であった。
山車の喧嘩は綱引きである。引き綱が交差し、相手方の山車を追い越すようにしてお互い進行方向に引っ張り合う。くだんの大丸太が山車を直接させず、轟音とともに丸太で山車を突き合うのが「喧嘩」である。衝突の直前に囃子が止んで、周囲の息を呑む音が聞こえる。衝突の衝撃が山車のみならずその場のすべてを揺さぶる一瞬の静寂。丸太が互いの山車にかぶりつくと、2つの山車は競うように喧嘩太鼓を囃す。山車の上の若衆が笹の枝を振り回して喧嘩をはやす。短冊が散り、クス玉が乱れ、アザフが千切れる。大揺れに揺れる吊り行灯の絵柄は「勧進帳」(鉄砲町組)、「風神雷神」「十二神将」(下八日町組)、「般若清流」(上八日町組)など渋いものが多く、ここにも風格が感じられる。
いってしまえば単純な祭りだが、それゆえにその場にいるすべてを引き込み楽しませてくるような、いやおう無しの興奮があった。喧嘩は組み合わせを替えて3回、「次は観客の皆さんもどうぞ綱を引いてください、手にまめを作ってお祭りのお土産にしてください」と、高台に上がった行司(実行委員長)の名調子も耳に快く、気仙町にすむ皆がこの祭りを心から誇り、大事に思っていることがよく伝わってきた。夜7時半に最初の喧嘩が行われ、だいたい10時頃に全て終わる。
大船渡市盛町の七夕は「あんどん七夕」と呼ばれ、高さ5メートル、奥行き8メートル程度の大きな角型あんどんの四方に武者絵や風景画を描いた独特の七夕山車である。元禄時代から続いている行事らしい。大まかな絵柄について下に纏めたが、半数は子どもたちが描いたテレビアニメの絵柄であった。
◎田茂山二・三区少年七夕組
アニメーションの絵柄
◎旭町少年七夕組
アニメーションの絵柄
◎愛宕町少年七夕組
アニメーションの絵柄
◎田茂山一区御山下少年七夕組
アニメーションの絵柄
◎上木町七夕組
「アニメ大盛館」
〜「あにめ おおさかりかん」ジブリアニメ各作品を1枚ずつ絵にしたもので、構図や画風に工夫が見られた。正面にもののけ姫(大山犬に乗った勇ましい姿で正面にふさわしい)、背面に風の谷のナウシカ、側面にもいろいろと。
◎本町組
「真田十勇士」
〜漫画風の太い実線で真田十勇士各々を個性豊かに描き出した作品。正面が馬上の真田幸村、背面に猿飛佐助と霧隠才蔵、両側面に4人ずつ勇士を配置。
◎木町少年七夕組
「川中島」「巌流島」「雷震」
〜正面は江戸錦凧の模写で川中島の戦い、両側面はそれぞれ青森ねぶたの下絵を模写したもの。基本色彩は橙。
◎八幡町七夕組
「三国志」
〜三国志の登場人物を劇画風に描き四方に配置した作品。正面には諸葛孔明を描いた。
◎吉野町七夕組
「武者錦絵」
〜錦絵を模写した縦長の絵柄を書き並べたもので、正面に武田信玄、側面に織田信長、森蘭丸、平清盛などを描いている。上部に日月を象った飾りを付け、狭い場所では内側に折り曲げて高さを変えられるようにしている。基本色彩は桃色。
盛町の山車行事には他に、4年周期で行われる式年大祭がある。このとき館山車や太鼓屋台を繰り出す祭り組が夏祭りのあんどん七夕組と重なっており、高田の動く七夕でも同様の傾向が見られた。
あんどん七夕の囃子は式年大祭の囃子とは遠く、かつ陸前高田の七夕太鼓とも違う。引き子の多くが普段着で綱に付き、子供が「よーいよいど」と掛け声をかける。拍子木を持った子供が先導している山車もあった。太鼓は山車に乗っていたり、別の台車に乗っていたり、団体によってさまざまだ。
盛の町は華やかな吊り七夕に彩られ、山車は吊り七夕を竹竿で払いながらゆっくり進む。色合い豊かな、七夕まつり独特の山車運行風景であった。
このほかにも気仙地方には何例か七夕山車行事が伝わっていて、宮城の気仙沼では「海上運連(かいじょう うんづら)」というものが夏祭りに運行している。七夕の化粧紙で満艦飾りにした船を、湾内にて曳航するらしい。
公共交通機関によるアクセス:JR大船渡線一ノ関駅から盛駅まで(該当:気仙沼・竹駒・陸前高田・盛)。