赤石神社祭典山車 上組

 


 昭和天皇大典の年に4町中唯一山車を運行した。草創期は消防1分団1部として、2部と交代で山車を奉納している。もともと一戸の野田組から人形を借りていたが、昭和50年代から駒木人形に転向し、現在は紺屋町を始めとする盛岡市内の伝統的な火消し組から人形を借りている。借り入れた人形を一度バラバラに崩し、衣装をクリーニングして新たに組み直すのが近年慣例化しており、実質的には自前製作に近い状況である。見返しは自前で作っている。太鼓は小太鼓6基、大太鼓1基3人打ち、いずれも締め太鼓である。囃子は歩みとあげ太鼓のみ(平成18年に2つまっちゃを新作)。特に大太鼓の奏法がダイナミックで素晴らしい。祭典最終日には商店街各所で演芸披露を行う。照明は常灯豆電球を松に大量に仕込み、牡丹の豆電球は点滅させる。勧進帳は平成11年以来8年ぶりの登場。


上組【勧進帳/義経千本桜 静御前】
パレード 商店街は光の渦

旅の衣は 泪に濡れて 急ぐ弁慶 みちのくへ
忠信ゆかりの 鼓をかざし 桜花の吉野に 咲く静

※盛岡山車における演題総括※


 歌舞伎の勧進帳はなぜ好まれるのか、女郎も何も出てこない男ばかりのこの芝居に込められた心、それは他人への思いやり。弁慶は義経を思いやり、富樫は弁慶を思いやり、ともに命を懸けて駆け引きをする。落としどころも絶妙に、花道を下がる弁慶の踊る姿は海を超え、パリのオペラ座さえ大喝采に沸かせた。見返しは初音の鼓を手にした「義経千本桜」の静御前。

反対側から見ても趣深い静御前

追われ義経 想いの静 肩の化身と 打つ鼓
忠臣忠信 吉野の桜 初音の鼓と 旅をする


(上組「勧進帳」の魅力)松羽目。大変上手で山車のイメージを決定付けた。衣装は盛岡紺屋町で昭和晩期に作られた名作の其れを引き継ぎ、見返しは鼓のかざし具合がなんとも粋な新発想の構図。あえて正面角を殺す前人未到のアイディアで、残念がる観客を大太鼓のそばに引き寄せてあっと言わせた。計算か偶然か、人形の上の椛が素晴らしく気の利いた付き方。なんといっても上組の魅力は日詰一の照明、まばゆいばかりの松の電球が素晴らしい。



初日は雨の中 上組だけが山車を出した

越すに越されぬ 安宅の関に 命かけたる 勧進帳
智恵の弁慶 富樫の情け 安宅を越えて 奥の道


 上組は平成18年に2つまっちゃ、平成19年には3つまっちゃを新たに採り入れたが、「2つまっちゃ→音頭上げ→3つまっちゃ→出発」という独特なプロセスでこれを使っている。上組大太鼓ファンの私としては、歩みから大太鼓の一打ちで盛り上がっていく上組の出発場面が失われてしまって少々淋しい。今後どのような発展を見せていくか、じっくり見守っていきたいと思う。

前夜の太鼓練習 顔隠しは昔と変わらず



 今年の日詰まつりは宵宮を荒天に祟られ、各組とも運行を断念し小屋入りしたままお囃子を若干披露するにとどまりましたが、上組だけは予定通りの時刻で出庫、地元鍛治町を一巡し習町通りまで運行してくれました(音頭:出発時・鍛冶町皇大神宮・一番組車庫前)。また夜間、2つの組がすっかりカケスを閉じて真っ暗だったにもかかわらず、上組の山車はかなり遅い時刻まで点灯し、僅かな期待を抱いて来町した観客の皆さんに披露してくれました。心意気にぐっときました、ありがとうございます。他の3組についても単に中止で終わらず、居住まいにしてはかなりの長時間太鼓・音頭をご披露いただいたこと、大変喜ばしく拝見いたしました。

接近すると花のある見返し 紫波中央駅通り

智恵の一巻 勧進帳を 天も響けと 読み上げる
主従安宅の 関越え北へ 落ちて奥州 平泉

※正式な演題名はこちら




最上段の音頭以外は全て、日詰まつりにて実際に歌われた歌詞です

(採取及び創作:山屋 賢一)
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