いくつになっても、怪獣には胸が躍るものだ。祭りに現れる怪獣といえば、忍術使いの『児雷也(じらいや)』の山車。誰もが胸を躍らせる、わくわくさせる演し物である。 児雷也の仕掛け 蝦蟇がガバリと大口をあける仕掛けは、一戸の橋中組や沼宮内の大町組が工夫した。あまり出てこない試みで、口を開いたままの蝦蟇のほうが多い。大町組の蝦蟇は口の中を空洞でなく真っ赤な舌にしたので、口が開いているのがよくわかった。 口からモクモクと煙を吐く仕掛けもある。一口に煙といっても、発炎筒やドライアイス・舞台用のスモークなど、各山車組で様々な工夫が凝らされている。筆者が見た中では、石鳥谷の下組の蝦蟇(平成14年)が特に激しく煙を吐いていたが、発煙用の発電機を別立てで仕込んだ念の入った一作であった。 舌を出す趣向は、今のところ実現(復活?)された例はない。蝦蟇の体表の粘膜質的な光沢を上薬で表現する工夫なども見られた。 いずれにしろ、児雷也の蝦蟇は見ていて楽しいし、作る側も楽しんで作っているように見受けられる。化け物演題の良いところである。ちなみに蝦蟇使いの同じような話では『天竺徳兵衛(てんじくとくべえ)』や『滝夜叉(たきやしゃ)』がある。とくに天竺徳兵衛は、蝦蟇を使う妖術ものの元祖とも言える作品で、主人公が漬物石を大きな蝦蟇に変えて敵を倒す筋書きという。これらは現段階では児雷也と比べてはるかに定着しておらず、盛岡周辺では馴染みの薄い演題といえる。近年は、天竺徳兵衛の見得の構図を児雷也に転用した例があった。 他系統では、大蛇と蛞蝓と蝦蟇と、全部揃えて一気に舞台にあげている。人形も、少なくとも3体(児雷也・綱手・大蛇丸)上がる。一般に、人形の数が増えるにしたがって、蝦蟇の山車全体への影響力は低下するようである。 岩手県内では、二戸広域に見られる平三山車にて、舞台いっぱいに青大蛇がうねる児雷也の演し物がある。大迫のアンドン山車では、蝦蟇ではなく鷲に乗った児雷也、敵役の大蛇丸に般若の面を添えた大首の絵柄など、さまざまな趣向が見られた。 青森では三戸、八戸、野辺地などの人形山車に加え、津軽半島の青森ねぶた、弘前ねぷた、下北半島の大湊ねぶたにも出てきた。ねぶたの構図は一般に横に広いので、必ずしも蝦蟇が中心に据わるわけではなく、やはり蝦蟇の演し物としての印象は薄れる。弘前では扇ねぶたの曲線を巧みに使って蝦蟇を印象付けた秀作があった。 秋田では、角館(大蛇丸と児雷也2体で蝦蟇が無い作品もあった)、宮城で登米、山形で新庄…と、とにかく各地で児雷也の山車が出ている。風流山車の作法を伝える全国区の例を俯瞰すると、やはり東北での採用率が顕著である。盛岡山車伝承圏の南側(花巻以南の太平洋側)にやや少ない。 文責・写真:山屋 賢一 (音頭 名句撰)
天を駆け巡る雷獣を捕らえて武名を上げた尾形周馬は、弱きを助け強きを挫く義賊の「児雷也」となった。忍術で大きな蝦蟇ガエルに変身し、毎晩金貸しの蔵を襲う。蛞蝓(なめくじ)を操る妖婦「綱手姫(つなでひめ)」と結婚し、児雷也は師匠の仇「大蛇丸」と戦う。
最近の作品では蝦蟇が目を光らせたり、口を開けて煙を吐いたりする仕掛けが見所となっている。筆者が幼少の頃祖母から聞いた話では、一戸から借りられてきたらしい蝦蟇の山車が「目を光らせ」「口をあけ」「煙を出し」「舌を出した」という。今振り返れば夢のある話であるが、現実にはどのような工夫が凝らされているか、以下に代表例を挙げてみたい。
児雷也の山車の背景は、盛岡市では金屏風や衝立など「豪商の屋敷」を思わせる建具が主流である。一戸町では、蝦蟇に変身する時の煙を絵で表現する。岩に炎のような飾りを模した、独特の背景もあった。
(各地の「児雷也」の山車)
蝦蟇に蛞蝓 大蛇の術に 追いつ追われつ 技くらべ み組(盛岡市)
妖し児雷也 妖術使い 奪い抱えた 軍資金 二番組(盛岡市)
蝦蟇に移りて 大蛇に化して ここに児雷也 わざの冴え 野田組(一戸町)
巫女のすがたも 灯しも消えて 片手六法 蝦蟇の術 二番組(盛岡市)ほか
秘文をうけて 呪文を唱え 蝦蟇の姿で 悪を討つ 青山組(盛岡市)ほか
越後連なる 妙香山に 訊ね学びし 蝦蟇の術 橋中組(一戸町)