八坂神社稲荷神社例大祭一戸まつり2011
今年は一戸らしい奇抜で楽しい演題がいっぱい。一戸だからこそ作れる美が、ストレートに現れた年でした。
蝦蟇の妖術 児雷也ゆくて 宿敵おろちが 立ちはだかる
大蛇の執念 蝦蟇を追い 大毒薬で 襲い掛かる
盛岡山車の定番演題『児雷也』の敵役、毒蛇の術を使う色男である。蝦蟇は大蛇に食べられるので、児雷也一人では大蛇丸に勝てない。そこで児雷也の妻「綱手姫」がなめくじの妖術で大蛇を阻む。昭和43年、交通規制で大八車の山車が出せなくなり一戸の山車が消滅しかけた年の、橋中組の意地の演題である。この年を含め、橋中組は唯一戦後以来一度も山車奉納を休んでいない。
※貸出先と比較(左が橋中組、右が葛巻の浦子内組)
天下を望むや 青葉の山に 伊達の男の 心意気
天紀不乱に 槍一筋と 六十万石の 朝ぼらけ
伊達政宗は、「伊達男」の語源になるくらいのおしゃれさんであった。陣羽織は濃紺に緋の段だら模様、背中には色とりどりの水玉というおよそ他の武将には思いも付かないもので、秀吉は危険人物と重々了承しながらも政宗のこういった感性を愛し、殺せなかったのだという。見返しは一戸まつりではおなじみの華やかな幕を着けた権現様と、震災被害復興を願う釜石虎舞との競演。権現様は、姿の無い神を獅子にやつした山伏神楽の遺物。一方三陸の虎舞には、風を呼び火災を避けようという浜の人々の願いが込められている。
暁天雲呼ぶ 川中島に 竜虎相打つ 古戦場
仕事柄、初夏の候に川中島の映像を4つばかり立て続けに見た。なぜ一騎討ちになるかについては、大きく2つの筋書きがあるようだ。ひとつは、山の上にいるはずの上杉の大軍が突如攻めてきたため混乱を重ねる武田の陣屋に、敵将本人が切り込むというありえない「奇跡」が起こり得たというもの。もう一つは、妻女山から別働隊が戻りもはや勝てないとわかった謙信が、単騎で信玄本陣に切り込み意地を見せつけ帰って行くという筋である。この作品はどちらだろう?と、川中島の山車を楽しむ術が一つ増えた。
平成2年の自作化以来歌舞伎ものを好んできた西法寺組にとって、初挑戦の馬もの。
※貸出先と比較(二戸市堀野武内神社祭典 東組)
村の人の おそれし大蛇 鎮西八郎 弓を打つ
鎮西八郎 黒髪山に 大蛇を討ちて 名を残す
西日本では比較的よく知られた佐賀の民話、源為朝の武勇伝である。湖に住む体長100メートルの大蛇を美女の踊りでおびき寄せ、為朝が八人引きの弓に13本の矢を一度につがえ、大蛇めがけて引き絞る。囮の美女「万寿」は没落した高家の娘で、病床の母を村人に託し世話を頼む代わりに、村の犠牲となった。放たれた矢の勢いに大蛇は姿を消したが、いくらさがしても死体は見つからず、為朝は自信を失い松の枝に弓を残して村を去る。その後旅の僧が血だらけの大蛇の亡骸を見つけ、その眉間に確かに射込まれた矢の腕前に驚いて村人に子細を聞きに回る。村人はこの時初めて、為朝の見事な弓の腕に感嘆の声を上げた。盛岡山車初登場演題。
※貸出先より:は組(二戸まつり:左)と茶屋場組(葛巻秋祭り:右)
を組の纏 火の粉を払い 民を守るは 辰五郎
仁義に厚く あるじを慕う 命を懸けた 馬印
新門辰五郎は幕末の江戸町火消し、を組の纏取りである。本組は昔から、火消しものを出す時は日本銀次でなく新門辰五郎を飾っていた。「暴れん坊将軍」で北島三郎が演じている火消しのようなイメージかと思うが、最後の将軍徳川慶喜に仕え、鳥羽伏見の戦いの最中に慶喜が一人大坂城を逃げ出してしまった際、子分達と燃えさかる大坂城に入って家伝の馬印を守り、徳川の恥をすすいだのだという。鎧姿に欣求浄土・金扇という取り合わせを見返しに据えるあたりが、この組の高尚なところであろう。
※貸出先にて:葛巻秋祭り新町組
見るも勇まし を組の纏 義理と情けの 辰五郎
義理と人情 男の意気で 纏のもとに 命懸け
(管理人連絡先:sutekinaomaturi@hotmail.co.jp)