志賀理和氣神社例大祭日詰まつり2013
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日詰まつりは良いお祭りだなあと改めて感じました。山車を作る人、太鼓をたたく人や笛を吹く人、綱を引く子供たち、見ている観客、…みんな楽しそうだから。これが自分のふるさとの祭りであるというのは、とても幸せなことです。
かやの裏切り 堀川やかた 忠信鎌倉 迎え撃つ
(見返し)珍の国の 唐人外郎 帝の薬 透珍香
佐藤四郎忠信は奥州平泉の藤原秀衡が源義経に下賜した勇猛な武将で、兄の継信とともに、文字通り「命懸け」で義経に尽くした。義経が追われる身となると忠信は鎧兜を拝領してその身代わりとなり、京都の堀川で追っ手を引き受け壮絶に戦死したという。これを歌舞伎に仕立てたのが「碁盤忠信」で、枕元の碁石の散らばる音で鎌倉方の夜襲を察した忠信が、重い碁盤を片手にとって討手と戦う。
歌舞伎としては平成23年12月に100年ぶりに復活上演され、その際盛岡の山車が長らくこの演目を引き継いできたことが大きく評価された。今回この「平成の碁盤忠信」を模した初めての盛岡山車が出るわけだが、着物の紋・白地に黒の車紋・碁盤の側面の蒔絵などが従来の型と異なる。御殿の中で戦っていたものを外で戦う趣向に改め、背景に桜の木を付けた。さらに今回、碁盤を投げた直後の見得として、前代未聞の斬新な構図取りを試みている。
見返しの外郎売は歌舞伎十八番の一つ、団十郎がのどの難病を小田原名物の妙薬で治したお礼に作ったといわれる曽我狂言のひとつ。人目を引く華やかな物売り姿は山車に華やかさを加え、背景に世界遺産登録を果たした富士山を描いた。辻に外郎(薬)を商う売り子は実は曽我五郎、健常な者がのどの薬を使うと早口になるといって早口言葉を披露し、客引きをする。
黒の名馬に 鹿角の兜 かざす大槍 蜻蛉切
(見返し)祓う大鐘 化身の踊り 優美花笠 七つ笠
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭(兜のこと)に本多平八」と称えられた徳川譜代の猛将で、生涯幾度と無く激戦を潜り抜けながらも、その身に一つの戦傷も無かったといわれている。忠勝所要と伝わる鎧兜が現存しているが、獅噛の前立てに大きな鹿の角が付いた真っ黒な甲冑でその豪傑振りをうかがわせる。
山車はこの異色の甲冑姿で傍らに篝火、武田菱の赤い旗を踏み据えて前方に槍を突き出す、殺気すら感じさせる忠勝の一体飾り。家康が武田信玄に惨敗した三方ヶ原合戦で、忠勝が一人、武田方の猛追を阻む雄姿であろう。大きく穂先を強調した槍は「蜻蛉切り」と呼ばれた忠勝の愛槍で、穂先に止まった蜻蛉が一瞬のうちに両断されたことからこの名がついた。
見返しは歌舞伎女形舞踊の大曲といわれる娘道成寺の一場面、恋の執念に狂う清姫の亡霊がかつて恋人を祟り殺した道成寺の鐘供養に現れ、女の身の悲哀を華やかな変化舞踊で舞い、寺の小僧達を惑わしていく。今回は数ある舞踊の中から花尽くしの歌 振り出し笠に頭に着けた朱笠を揃えた姿を「七つ笠」と付題。
安倍晴明 五芒の護り 散らす土蜘蛛 鮮やかに
高らに掲ぐる 真白き札に 晴明桔梗の 花が咲く
陰陽師と呼ばれる人々が日本史上最も重要な位置を占めていたのは今から1000年ほど前の平安中期、俗に摂関政治と呼ばれる貴族の時代である。当時の為政者達は疫病・政情不安等様々なトラブルを怨霊・妖怪の仕業と考え、暦法・幻術・信仰などあらゆる分野に通じた彼ら陰陽師に解決を頼った。中でも都随一の陰陽師と呼ばれたのが安倍晴明であり、近年小説や映画に取り上げられて脚光を浴びている。音頭に歌われる「五芒の護り」は、晴明が結界を張るときに使う五芒星、別名「晴明桔梗」といい、五行の霊力を一堂に会す霊験あらたかな紋章である。
山車は晴明が京都一条戻橋に巣食う蜘蛛の妖怪を鎮める場面だが、武人を使った荒々しい退治物と違って、晴明の中性的な面持ち(男性だが、限りなく女性に近い)・品のある白装束に平安の雅が漂う。土蜘蛛に凝らされた仕掛けの数々も実に楽しい。ねぶたなどでは晴明と組むのは鬼になった悪い陰陽師とか四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)とかなので、土蜘蛛と組んだ晴明は盛岡山車ならではの趣向である。
見返しには、歌舞伎助六の出端を華やかに。
宝刀の 友切丸を 探す助六 男伊達
(見返し)誇り高きや 角切銀杏 浪花鑑の 中村屋
成田屋歌舞伎十八番の助六は、曽我五郎が侠客花川戸助六に身をやつして吉原の遊客に次々に喧嘩を売りつつ宝刀「友切丸」を探し出す話。喧嘩を繰り返す助六は母にとがめられ、あまり暴れないようにと紙で作った衣を着せられる。敵役の髭の意休がその姿を馬鹿にして助六を折檻し、つい刀を抜いてしまうのだが、その刀こそ助六が探していた友切丸であった。助六は意休を殺して刀を奪い返す。山車には紙衣姿の助六が走って花道を下がる場面を1体で上げた。
題の「助六由縁江戸桜」にしろ、この引っ込みの場面にしろ、団十郎家の役者が助六を演じる場合のみ許されるもので、この山車は特に「成田屋の助六」を強烈に意識して構想したものである。
見返し『夏祭浪花鑑』の団七九郎兵衛は、十八代目中村勘三郎の当たり役の一つ。大坂住吉神社の境内で大喧嘩に及ぶ主人公と侠客・徳兵衛が、神社に立った立て札を引き抜いて争う只中の見得、二人形を二本の立て札で繋ぐ入り組んだ構図である。背景は髪結い床の暖簾で、主役を演じる役者の紋を染める約束事があり、山車ではこの暖簾に中村屋の「角切銀杏」をあしらうことで「中村屋の浪花鑑」を意識した。
昨年末から年初にかけ、市川団十郎・中村勘三郎の両名優が相次いで逝去した。日詰をはじめ盛岡地方の山車文化にとって歌舞伎がかけがえのない糧であることを鑑み、このほど表裏に追悼の演題を選んだものである。