もともと借り上げ時期に照明やら囃子やらを面白くし、
自作に至った今は、本当に出したかった山車を出す。
…日詰まつりは、目下一番熱い盛岡山車祭。
上 組【近江彦根藩主 井伊直政 / 藤娘】
赤の閃光 恐るる武将 天下無敵と 名を高め
轟く名声 勲にたけて 武将直政 赤備え
戦国乱世を生き抜き、最後の最後で勝利者となった徳川家康。その傍らには、果てしなく長い主君の不遇を支えた「徳川四天王」がいた。
中でも最年少にして智と勇を兼ね備えた賢臣 井伊直政は、武田信玄が考案した「赤備え」の軍装を引き継ぎ、旗指物に具足・陣笠まで全て赤一色に揃えて軍団を一体化させ、士気を鼓舞した。
徳川の先鋒 燃え上がるような「井伊の赤備え」が並み居る敵を打ち倒し、欣求浄土の家康の夢を叶えんと疾駆する。
兜の両脇から伸びるのは「天衝(てんつき)」といって、その名の如く天を突き通すような長い飾り物である。このような兜をかぶると背が大きく見えて敵を威圧でき、同時に戦場で目立つので主君に健闘ぶりをアピールできた。山車人形の甲冑でこれほど見事に天衝の効果を活かした例を、私は知らない。
藤娘は上組が昔からよく出してきた見返しだが、マネキンに笠をかぶせて振り袖を着せた程度のものでしかなかったと記憶している。今回は人形を大胆な角度に据え、振り袖にも藤の花房を縫った「こだわり藤娘」となった。
一番組【九鬼水軍 / 南面の櫻】
織田が奇策よ 目にもの見せん 鉄の大船 沖に出す
(見返し)みなみおもてに 想いを懸けて 色も変わらぬ 老い櫻
戦国の覇者 織田信長にとって生涯一番の難敵は、摂津石山本願寺に篭る一向一揆であった。
毛利家は信長を倒すために本願寺を支援、戦国最強といわれた村上水軍に食糧物資を運ばせた。信長に仕える九鬼水軍は村上水軍を阻もうとするが、村上水軍の放つホウロク(炸裂弾のようなもの)のために、何度も船を焼かれてしまう。
信長は九鬼水軍に「火矢に耐える鉄の船を作れ」と命令、水軍頭目九鬼義隆の手によって、有名な「鉄甲船」が完成する。この船は、世界史上初めての「鉄で出来た船」であり、一揆勢を圧倒する巨大な海上要塞であった。
当山車は、全体を鉄で覆った軍船の船端で敵方を睨み、本願寺に攻めかからんとする九鬼水軍の雄姿である。九鬼の鉄船によってついに本願寺は攻め落とされ、跡地に大阪城が建てられて現在に至っている。
九鬼の鉄甲船は鉄で出来ているだけに錆に弱く、一般の船のような使い方は出来なかったと云われている。つまり信長は、本願寺攻めのためだけに、火矢を防ぐためだけにこのような船を造った。鉄甲船の想像図には山車に描かれたような竜の舳先は無いし、水軍のいでたちもこのようであったかどうか不明である。しかしこのように想像してみせるのが、山車のおもしろさではないか。
赤石神社境内に現存する南面の桜は、南北朝時代に都人と地元の娘とが将来を誓い合って植えたものと云われている。しかし都人に帰京の命が下り、二人の思いは叶わなかった。不思議なことにこの桜は、毎年必ず南の方角に枝を向けて花を咲かせるのである。南の方角には、都人が向かった京がある。都人に思いを馳せる娘の魂が、今なお桜に宿っているのだろうか。
音頭作詞:山屋 賢一
橋本組【歌舞伎十八番 暫 / 本朝廿四孝 八重垣姫】
顔見世成田屋 歌舞伎の十八番 しばらく声掛け 悪を討つ
(見返し)恋の一念 諏訪湖を渡る 不思議ちからの 狐火か
※演題項※
暫は霜月歌舞伎の恒例の演し物で、江戸時代には夜明け近くに演じられたという。悪い公卿が庶民をいじめる場面を日の出の直前に、「しばあらああくー」と声がかかると暗幕が開け放たれて、朝日を背に受けた鎌倉権五郎が花道にかかったという。暫は闇夜を照らす一筋の光、暫を拝むことが江戸の庶民の幸せであった。
八重垣姫は俗に「赤姫」と呼ばれるように、赤い振り袖を着ているのが普通であるが、当代一の女形 坂東玉三郎は一転して白の衣装に替え、荘厳な出で立ちの八重垣姫を作り上げた。兜も高く掲げ、可憐でありながらきりっとした八重垣姫である。足下の菊も存在感があり、非常に効果的であった。
下 組【牛若丸弁慶 / 風神雷神】
末世憂いし 弁慶諭し 打倒平家と 語る夢
(見返し)天を震わす 風雷神が 出穂に実りの 雨を呼ぶ
※演題項・前作※
弁慶と義経、異世界の住人同士が出会うのが橋であるというのは、非常に意味深である。もし彼らが出会わなければ、日本の歴史はどうなったであろう。
風神雷神はかなり高尚な見返しだと思う。高尚なところを、適度なおかしさでもって茶化しているのも見事であるし、見れば見るほど、表情や動きなど出来映えが実に良い。荒ぶる天の神は、荒天に悩まされた今年の世相を図らずも反映した。