碁盤忠信
片手で軽々と碁盤を差し上げ、攻め手を睨み据える忠信。碁盤は通常、横に差さずに上に差す。横に差したのは城西組くらいで、ほとんどが碁盤を上に差す。赤が主体の人形の上に、大きな黄色い碁盤がまぶしい。碁盤を上げるためには、松の上に出さなければならない。そうすると高さの制限に引っかかるので、碁盤の裏に軸を付けて着脱式にする。電線や高架橋をくぐるときは、碁盤をはずしてしまうのだ。「そのような工夫は本来の作法ではない」と考える山車組もあって、松の上に碁盤を出さないように人形を小さく組んだり、異常に低い姿勢に組んだり、組ごとにいろいろと工夫している。そもそも、山車の上に突き出した碁盤くらい大目に見るような取締り側の配慮があれば、もっと自由に作れると思うのだが…(笑)。 もともとは、攻め手を踏みつけ碁盤を投げつける姿が主流であった。踏まれている兵卒の人形は、俗に「潰し(つぶし)人形」という。2体ではなく「一方が主役でこちらは脇」という明瞭な比重があり、たとえば碁盤忠信の潰し人形は、普通は上半身しか作らない。主役の人形の勇壮さを引き立たせて物語性をはっきりさせるのが潰し人形であり、潰しの無い碁盤忠信は単に歌舞伎の見得に見えるが、潰しが付けば追っ手を追い払うニュアンスが濃くなる。碁盤が手から離れるのも、忠信が足元を睨むのも、潰し人形がいるからである。潰しを踏みつつ碁盤を差し上げる忠信もあるにはあったが、潰しが無くて碁盤が手から離れている忠信は今のところ出てきていない。碁盤を投げている場合、普通は忠信の目線を碁盤に落として潰しとの三点連動を行うが、一戸で出た碁盤忠信にこの定例を崩し、碁盤と反対を向く忠信に仕立てたものがあった。これはこれで、なんともいえないいいリズムがある。 碁盤忠信に対応する見返しは、『静御前(しずかごぜん)』である。静御前は義経の愛妾(正式な妻ではないが、最も愛された女性)で、吉野山で義経と別れた後に鎌倉方に捕まってしまう。京で一番の白拍子(しらびょうし:男装で踊る遊女)との評判から、静は頼朝の御前で舞を演じることになった。静は頼朝を睨み付けると、「義経のことが忘れられない」「また義経の世が戻ってくればいいのに」などと、物怖じもせず義経を恋慕う歌を歌い、優雅に舞ってみせた。頼朝は怒って静を切り捨てようとするが、北条政子が傍らでこれをとどめて事なきを得た。静の舞姿、吉野山で義経を追って旅をする姿などが見返しに上がっている。盛岡のさ組は、『源九郎狐』が忠信に化けて伏見稲荷で静を救う場面を、碁盤忠信の見返しとした。 前述したように、碁盤忠信のテーマカラーは赤である。衣装が赤でない碁盤忠信は非常に稀であり、やはり何かずれているような印象が拭えない。ところが錦絵などを探してみると、どう優しく解釈しても忠信の基本衣装は白の浴衣であって、隈取も二本筋などではない。もしかしたら盛岡山車に登場する碁盤忠信は、すごく希少な歌舞伎の姿を伝えているのかもしれない。歌舞伎仕立てでない浴衣姿の忠信も出るには出たようで、石灯籠を背にして寝巻き姿で追っ手を蹴散らしている姿が絵図に残る。これも戦前の話で、現在は歌舞伎風でない碁盤忠信は皆無となった。 歌舞伎そのものではすでに廃曲に近い状況だが、山車の演題としては盛岡広域のみならず、以前は青森方面(ねぶたや八戸の山車)にも碁盤忠信の取材が見られた。古くは古浄瑠璃に登場する逸話であり、戦前は無声映画に作られてもいる。山車行事は一年に一度のハレの機会であり、ケの日常ではすでに忘れられてしまったものでもハレの限られた期間には持続されていることが多い。現在でこそ祭りは古式に立ち返って行われるが、このことで祭りの期間にのみ何十年も前の習俗が伝承を続ける、という例も少なくないのである。碁盤忠信の伝承も、このような観点から理解されることではないだろうか。 文責・写真 : 山屋 賢一 (音頭) 碁盤構えて 北条方(ほうじょうがた)の 寄せ手蹴散らす 歌舞伎見得 【写真抄】
盛岡山車の演題の中には、暫や鏡獅子のように著名な歌舞伎演目に取材したものもあるが、一般にあまり知られない、上演機会もない、忘れられた演目を作ったものもある。『碁盤忠信(ごばん ただのぶ)』はその代表例であるが、これは盛岡広域で作られる歌舞伎演題の、定番中の定番といえるものである。

佐藤忠信(さとう ただのぶ)は、奥州平泉の藤原秀衡(ふじわらの ひでひら)が源義経に下賜した勇猛な武将で、兄とともに義経を助けた。義経が都落ちを余儀なくされ追われる身となると、忠信は鎧兜一式を義経から拝領し、身代わりとなって鎌倉の追っ手を引き受け壮絶に戦死する。舞台は京都の堀川とも、奈良の吉野山とも云われる。この伝説を荒事歌舞伎に仕立てたのが「碁盤忠信(堀川夜討ち)」で、夜襲をかけられた忠信が枕元の碁石の散らばる音で目を覚まし、重い碁盤を片手にとって討手を追い返す。
山車人形の忠信は、車鬢に華やかな火焔筋隈(かえん すじぐま)を取り、赤い着物には源氏車を縫い付け、腰を覆う黒いどてらにも金の車の刺繍を付ける。矢の根五郎や車引きの梅王、鳥居前などと同じ、「赤の歌舞伎もの」である。衣装の下の鎧は義経を身代わるための豪華なもので、とにかく派手で見栄えのする演し物である。
碁盤をかざす手の形も見所である。師匠組ともいわれる八幡町い組の碁盤忠信は、碁盤の四つ角にぴったりと手の形を合わせる。これが本家盛岡の、誤魔化しの無い碁盤忠信であるらしい。忠信をよく出す同好会「の組」でも、手の形を非常に工夫した碁盤忠信を出したことがある。作品の多くでは、碁盤を持つ手は握りの手であり、これでも碁盤の足をつかむように組めば不自然でなくなる。碁盤を手のひらを隠すように設置してしまえば、そもそもこうした悩みは無い。開いた手にぴったり碁盤を貼り付けてしまうのも一案である。あえて碁盤と手のひらの間に距離を設けて、投げたような雰囲気に仕立てた作品もあった。碁盤を行灯にして、手に差し込んでしまった作品もある。もう一方の手は刀のつばに親指をかけて、ぐいと手前に引き出している。これもまた、単に握りにしないのが粋であるらしい。
踏み据えられた兵卒は歌舞伎の化粧をしているわけでもなく、衣装も普通の鎧姿なので、歌舞伎姿の忠信との間に独特の対比が生まれる。肌色に隈を取り、髪の車鬢を省いて洗い髪とした作品が昭和晩期に見られたが、番付には車鬢がしっかり描かれおり、作り手の凝らした工夫の一つであったと今は考えている。裸人形や武者ものの得意な組が多く凝らした工夫であったので、より物語型の碁盤忠信といえるかもしれない。
背景には御殿をあらわす屏風を立てる通例があるが、平成に入ってからは作品の約半数で省かれるようになった。逆に欄干もつけて豪華にアレンジした例もあり、組足を逆にし筋隈を一本にした盛岡城西組の作品は斬新な印象を残した。
地元平泉出身の英雄として、また碁盤を振り上げるという構図のわかりやすさからも、北東北の山車演題の首座に碁盤忠信が上がってきたのではないかと思われる。
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絵紙
1体
石鳥谷中組
沼宮内大町組
盛岡い組@
日詰上組
一戸橋中組
盛岡い組A
沼宮内愛宕組
盛岡さ組(本項)
盛岡城西組
盛岡の組@
盛岡い組B(本項)
盛岡の組A
沼宮内新町組日詰一番組(本項)
盛岡い組@
盛岡さ組@
盛岡い組A
盛岡さ組A
盛岡の組
盛岡新若盛岡い組@(富沢)
盛岡い組A(富沢:色刷)
盛岡さ組@
盛岡さ組A
盛岡の組
盛岡城西組(圭)
一戸橋中組
沼宮内新町組
盛岡新若
2体
日詰一番組
沼宮内ろ組
岩鋳山車
石鳥谷中組盛岡観光協会(本項)
盛岡め組
盛岡新馬町
盛岡は組
盛岡い組@
盛岡い組A
一戸橋中組
一戸野田組盛岡観光協会(香代子:色刷)
盛岡い組@(国広)
盛岡い組A(国広)
一戸橋中組(富沢)
石鳥谷中組
自力更生と 岩手の里の 碁盤忠信 腕の先
夜半(よわ)に太刀風 碁盤に受けて 残る武勇は 神の恩
碁盤片手に 寄せ来る敵を 討ちて誉れを 後の世に
奥州落ちの 義経助け 身代わり享(う)けて 吉野山
碁盤忠信 荒事活かす 仁王襷(におう だすき)に 火焔隈(かえんぐま)
碁盤振り上げ 討ち手を寄せぬ 丈夫雄鹿(ますらお じか)の 勇ましさ
碁盤忠信 主君に代わり 追って蹴散らす 奮戦記
碁盤片手に 寄せ来る敵に 忠臣忠信 見得を切る
碁盤構えて 寄せ手を散らし 忠臣忠信 見得さやか
碁盤忠信 奮戦智勇 追っ手を攘(はら)いし 吉野山
義経の身代わり 敵追い払い 奥州下向(げこう)に 命がけ
主を救うと 衣(きぬ)いただきて 身代わり忠信 武勇伝
春の吉野に 萬妥(ばんだ)の桜 忠信ゆかりの 歌舞伎見得
義経(きみ)が御佩刀(みはかせ) 着長(きせなが)賜(う)けて 吉野に咲かす 義士の花
(1枚目)平成18年の盛岡八幡町の忠信。私は暫と碁盤が現段階のい組が作れる最も良い山車だと思っている。それでも近年は松が厚すぎて、肝心の人形が小さく組まれるようになってしまった。古い写真を見ると、2体で作ったい組の碁盤忠信はこんなに上手ではなかったようで、1体で作り始めてから、他の追随を許さないような華やかな作品を多く世に出している。私が一番気に入っているのは平成8年の作であるが、いずれ戦後の1体碁盤は、間違いなくい組の影響で流行したものだ。少なくとも平成3年までは松の上に碁盤が出ていて、組み方も大振りな筋肉隆々の碁盤忠信であった。(2枚目)私の生まれる前の日詰の山車。着物に車紋がなく車鬢もなく、足元の車紋も染め抜きである。現在の作品に比べて、実に質素だ。しかしながら、人形の風格や構図の見事さが非常によく伝わってくる山車である。こういう上手さは、近年の盛岡山車には見られない。小太鼓が2段なのも私が生まれる前の一番組の作法であり、牡丹の芯に電球を入れるのではなく、牡丹を照らす電球を外に設置している。(3枚目)盛岡観光協会の作品。彩り華やかな潰し付き忠信の写真が残念ながらこれしかないので、お持ちの読者の方、譲っていただけませんでしょうか?現在主流の忠信が1体なのでなかなかアピールできないでいるが、この作品は私が見た碁盤忠信すべての中で一・二を争う傑作で、とにかく風格のある立派な山車である。(4枚目)さ組が最も上手であった時期の碁盤忠信で、小さめの人形を大振りに組んで、舞台斜め上に配置している。単に高く作ったのではなくて、高いなりの辻褄があっている。非常に躍動感に富み、格好の良い作品であった。この年はの組も碁盤忠信を出したので、はからずも2つの同好会が競う形となった。