八郎潟周辺の五月五日(願人踊りめぐり)

 



〜初めて訪ねた北上みちのく芸能まつり(平成11年:岩手県北上市)で、秋田から出場した「一日市願人踊り」を見物した。いっぺんに好きになり、ぜひ現地でこの踊りを見てみたくなった。平成14年のGWにこの踊りの登場する八郎潟諏訪神社の祭典、イベント年鑑によれば5月5日は周辺域でも興味深い祭典があるようなので、併せて見物に行った。朝の8時に鷺舞、午前中いっぱい今戸願人踊り…と見て、午後に八郎潟に入り門付けを追いかけた。なかなか踊り組を見つけられなかったりして大変だったが、終わってみれば充実したお祭り見物であった。

今戸願人踊り(秋田県井川町 平成14年撮影)


*秋田音頭


 屋台の上で踊られる小学生の手踊りが、鳥肌が立つほど上手い。@通常の手踊りA花笠を採る踊りB傘と包丁を使う2人舞の3種類があり、「秋田音頭三段返し」という。後ろに行くほど高学年が踊っているようだ。秋田音頭の踊りの特色は、所作の一つ一つをこなすごとにピタッと型を決めることで、全ての所作が定規で測ったように機械的に決まっていく。片足を挙げて無駄に手を振る所作が個人的に好きだ。一番難しそうな傘と包丁の踊りは、お互いきりかかるような振りが中心で、包丁が切りかかるのを傘をまわしながら受けたり、また包丁を口に咥えて見得を切ったりする。秋田音頭を歌うときには音の高い小太鼓とチャンチキ、踊りが終わると笛や低くて音の大きい太鼓などが加わって勇ましいお囃子になる。



*一日市の願人踊


演目:『通り掛け歌』『しょうと舞(伊勢音頭手踊り)』『口上』『定九郎』
 願人とは伊勢や熊野に庶衆の願いを代わりにかけにいく下級の修験者のことで、かれらが信仰を広めるために踊ったのが願人踊りである。江戸後期に伊勢音頭の拍子を取り入れ、また、江戸歌舞伎の一場面を余興として導入したという。踊りは、まずほっかむりをした男衆が5人くらいでものすごいクセのある手踊りをする。「しょうたんよう、ちがやね、あら、めでたなえ」と歌いながら両手を握るようにして同時に上に振り上げて見せるもので、ものすごく後を引く踊りである。足のステップが千鳥足でも踏むようにまったく安定感がなく、踊りの滑稽さを見事に支えている。足と手を同時に出すことから盆踊りの対極として「一直踊り」と呼ばれている。続いて歌舞伎風のメイクをした2人が寸劇を演じる。仮名手本忠臣蔵、貞九郎と与一兵衛の盗賊劇をみようみまねで真似たものである。囃子は一切つかず、金を貸すのを渋った与一兵衛が定九郎に切り殺されたところで「その金取られてなんとする…」と手踊りが再開する。拍子は、竹で作った傘の柄で地面を突き、その振動でゆれる鈴の音と、竹の軸の部分を短い撥で打つリズムを組み合わせて囃す。子供の門付けでは、通りを歩くときに数え歌のような情緒ある歌を手をたたきながら歌って廻る。





*今戸の願人踊


演目:『秋田おばこ』『明けのほうから』『しょうと舞』『口上』『定九郎』
 子供たちによって伝承されている門付け芸能で、5月5日のお祭りに今戸地区を神輿を引いて練り歩く。通りを寝るときは竿灯などに使う「寄せ囃子」を使っている。地区の辻で踊るときは、まずかすりの黒い着物の女の子が20人程度、5〜6演目の民謡手踊りを演ずる。曲目は『秋田おばこ』『明けのほうから』など。手踊りが終わると、今度は男の子の踊り手が願人装束で登場する。囃し方は女物の襦袢にほっかむりをし、手に持つ竹を打ち鳴らす。踊り手は長襦袢に襷がけ、鉢巻を巻いている。願人踊りは、手と足を同時に動かす独特の『一直踊り』が魅力で、前に出るようで出ない不思議なステップと、癖になる独特の手の動きが面白い。一通り踊ると、踊り手の一人が拍子木を手に前に進み出て、向上を述べる。これが子供にしては半端でなく上手で、「俄願人あい勤めまするは、皆々様のお笑い草」みたいなことを独特のイントネーションで述べ、いったん立ち上がって拍子木を打ちながらあたりをまわり、もう一度前に出て再び口上、短い手踊りの後、定九郎と与市兵衛の寸劇が入る。定九郎の装束はザンバラ髪に熊髭、与市兵衛は雨よけの茣蓙を背負った老人である。2人の演技がこれまた上手であった。寸劇が終わるとまた願人のクセのある手踊りが、今度は長めに入って終焉となる。八郎潟とかなり似ているが、装束の相違、手の動き方の微妙な違いなど、こちらもそれなりの個性をもっている。寸劇部分のせりふや演出もまったく同じだが、フレーズに工夫があるようだ。お囃子全般がカセットテープなのが惜しい。観客に混じって、白い巫女装束の女の子が2人いるが、これはお花を貰う役回りである。お花をお盆の上に載せると、手にした榊の葉でお払いをしてくれる。巫女は終始この行列について回り、お花の御礼として観客の厄を払う。




*下虻川神明社の鷺舞


 踊り手は2人で、赤い袴の巫女装束に木の板を継ぎ合わせた大きな羽根、頭には鷺の首をかぶって完全に鷺の扮装をする。帝の御威光に鳥すらも舞い降りて来てひれ伏すという華麗な舞曲で、幸せをつれてくる霊鳥の舞はもともと島根の津和野に伝わっていたものを飯井田川の氏子が学び、本来扇子を手に舞う形を変え、現在にいたった。五穀豊穣、民衆安寧を祝い、鷺が舞い降りて祝いの舞を舞う。独特のメロディーで歌われる歌の歌詞を聴いていると、「昔こういう事があった…」という言い伝えのようなものを歌っており、歌の合間に太鼓が静かに入るところな西日本の芸風を反映しているように感じた。鷺の動きはゆるやか・単調で、拍子に合わせて羽をばらばらと鳴らす。閉じて下を向いている羽根を広げ、片足で立ってみたりする。正味10分程度の厳粛な舞は激しさは無いものの、独特の間と静の魅力に満ちていた。






(平成14年5月5日見物)



文責:山屋 賢一

inserted by FC2 system