第1回東北六魂祭 平成23年7月16日撮影
 

東北六魂祭

 


 東日本大震災に関わる東北への観光客減少に歯止めをかけようと、2011年7月16日から2日間、宮城県仙台市勾当台公園にて開催されました。基本ベースは産業祭りのような形で、公園内にはたくさんの出店が出て、東北の様々な物品が販売されています。行ってみれば、大々的に告知されているお祭り関連イベントは全体の30%くらいでしょうか…。
 行政主催ということで、個々でも充分な観光客を集められる東北六大夏祭りが一堂に会すという夢の趣向を実現、見物客も「○○県は□□県を応援する」というような割り振りがなされ、全国民的イベントとして開催されたようです。私が申し込んだツアーにも、30名定員のところに50名弱が応募したとのことでした。

ステージ発表で、山形花笠踊りを初めて見物。北東北には無いタイプの笠の扱いで面白く、踊りは華やか歌も粋


 …結果、「観客が多すぎて危険」という前代未聞の理由で中止に。炎天下の定禅寺通りは汗だくの観客に溢れて身動きがとれず、パレード開始予定の5時には人が出すぎて通りが全く見えず「もうイヤだ」「帰りたい」との怨嗟の声があちこちから起こりました。体に触れる生ぬるい他人の汗の感触。予定時刻を5分、10分過ぎても一向に動きはなく、可哀想に、交通整理に立つ若い警備員は罵倒され、「なんなんだ、このイベントは」との怒りで「東北が一つに」なりました。1時間以上経って中止の連絡、それでも観客は容易に動けない。


ねぶたは遠望するとかなりかっこいい。若き日の信長の構図を政宗にリメイク、見返りは龍の絵でした


 新作の伊達政宗のねぶたは、お囃子と完全に分断して披露されました。スタッフは、なぜか山車にブルーシートをかけようと必死。「このイベントは一切終了です」との主催者側のPR、その直後に市役所前で竿灯が披露され、諦めずに残っていた観客が得をしたような形に。
 私見。企画者は以下のことを考えるべきであった。

@ 会場を広く仙台市内に分散させて、観客が一カ所に集中しないようにする。
A 6つのお祭りを不規則・交代に披露させて、同じ時間に多数の観衆を集めないようにする。
B パレード形式では披露できない七夕祭りは、会場周辺にたくさん飾って観客に見せる。
C パレード形式で披露しにくい竿灯は、会場を幾つか設けてランダムに披露する。
D さんさ踊り・花笠踊りは比較的交通整理が容易なので、公園外・市内各所で披露する。

 いずれも各祭典をしっかり見ている者であれば思いつきそうな簡単な案件ばかり。それぞれの特性が生かされてこそ豪華な趣向が活きた、と悔やまれるばかり。いかにお祭りのことが知られていないか、はからずも実感する結果となりました。


ステージ全景、六魂祭の6本の幟が並び、仙台七夕が贅沢に飾られています


(岩手)盛岡さんさ踊りが参加

 ステージ発表には、ミスさんさ集団と山岸さんさ踊り・盛岡さんさ踊り清流会が出演しました。統一さんさはミス集団と伝統団体1団体ずつで披露し、その後最前列からミスが抜けて伝統演目を見せる…といったような流れでした。ステージもパレードも、観客にすっぽり隠れて音だけ聞こえるような状況が長かったです。


市役所前で心意気の竿灯自主公演。竹のしなりに拍手喝采の最中、小屋に帰るねぶたがさしかかりました


 単に小屋に帰ってきただけの無音のねぶたへの喝采、操り手の見えない中でしなる竿灯の竹竿に割れんばかりの拍手、…このイベントで最も心に残ったのは、どんな悪条件でも観客の心をたぎらせる祭りのパワーでした。加えて、他地の妙技に県境を越えて見入り、惜しみない賞賛を与えるこのイベントならではの高揚感。
 このイベントが高々と歌い上げたのは、「東北の祭りは世間の評価よりもずっと、人を魅了できる」という明らかな底力だったのです。



文責・写真:山屋 賢一

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