主に岩手県内陸中部の秋祭りに出てくる山車(だし)について紹介します
いずれも年ごとに飾りを替える山車なので、どの年も見逃せません
ここでは、何度かこのような山車を見たことのある方に向けて
あるいは関わった経験がある方に向けて
いくばくかでも視点の変わったお話しが出来ればと思います



山車の題材は200くらいあります
なかに、地域によって得意なものと苦手なものがあるようです
県北の山車組はもともと、武者の山車が得意で歌舞伎ものは苦手でした
ですから県北の一戸町で、例えばこういう光景は30年前なら想像しづらかったのです

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歌舞伎山車が出ています
それも、定例的でない(つまりは他の模倣でない)かなり変わった歌舞伎ものです
この山車は歌舞伎をそのまま作ったのではなくて、
実際の船を添えて物語性を増したり、主題として極めて異様なものを選んだりと、
かなり思い切った試みが入っています
(なお同様の過程で半世紀以上前、「碇知盛」が歌舞伎から武者ものに変わった、と思われる)


盛岡地方では武者ものは主に源平の戦いを好み、戦国武者はあまり出て来ません
出てきたとしても、鎧はキラキラしていて大時代的です
そんな中、こういう山車が出ました

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この鎧の再現度の高さは、近年の情報化社会の顕れなのかもしれません(資料を集められるようになった)
ややもすれば、一台の山車が「時代を背負っている」といえなくもないのです

私はこういうのが、年ごとに飾りを替えることがもたらす一種の「進化」ではないかと常々思っています
それはそのまま、風流山車(ここでは「移り変わる山車」の意)の欠かせない魅力でもあるわけです

もちろん「変化」はかけがえのないものを持ち去ったり、要らないものを持ち込んだりもするのでしょうが


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これは進化かな、それとも外れただけかな
私はだいぶ「外れた」に傾いているのだけれど

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これも、従来のこの作法の表現とは思えない

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伝統題でも、こんなに外れることがある

いずれも「変化」としてくくれはするのだけれども


この「外れた」という感覚は、きっと自分の今まで見てきたものの蓄積なのでしょう
ならば自分と違う蓄積の人には、これらは違って見えるはずだから、
私はあまり気負わずに、自分に見えたように山車のことを書きたいと思うようになりました

ちなみにこれは、外れたようには見えず「工夫したな」と見えます。私の眼には
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盛岡山車は、その趣向も表現も飾り物も極度に絞り込まれているために
こうした変化がよく見えるのかもしれません


最後に、変化が乏しいぶん落ち着いて見えるものをいくつか
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守ることもまた尊い(文責・写真:山屋賢一)


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